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【感想】アイの歌声を聴かせて

やっと心が落ち着いたので、映画『アイの歌声を聴かせて』の感想を。

知るキッカケとなったのは、『数学ガール』著者・結城浩氏のTwitterから流れてきた「エンドロールに結城先生の『数学ガールの秘密ノート/ベクトルの真実』が!」という観客たちの驚きの声を見かけたこと。

調べていくと、監督が『イヴの時間』の人(吉浦康裕氏)で、同じAIロボットを題材にした映画、ということであったので、たまたま休みを取っていた平日に何となく観に行ってみた。

すごかった。すごくよかった。

その週末にすぐに娘を連れてリピート鑑賞。

すごかった。すごくよかった。

【ネタバレなし紹介】


大企業によるAI技術の実証実験が展開されている都市(といっても、モデルは佐渡ヶ島の田舎(失礼))にある高校が舞台。
主人公は、その大企業で働く博士を母親に持つ、しっかり者でおとなしい女子高生・サトミ。

サトミの母親がリーダーを務める「シオン・プロジェクト」は、試験中のAIロボット・シオンを高校に転入させ、5日間ロボットであることがバレなければ成功、という、かなり強引な実地試験を行う段階に突入。

母親のスケジュールを秘密裏に見てしまったサトミは、その日来た転校生がAIロボットであることに驚く…が、女手一つで育ててくれた母親の目前の偉業を台無しにするわけには行かない。
秘密にしようとするも、シオンは転入挨拶もそこそこに、突然彼女の前に来て唐突に「今、幸せ?」と問う。戸惑うサトミをよそに、サトミが幸せでないと判断したシオンは突然ミュージカルよろしく歌い始める。

サトミは優等生ではあるが、とある出来事をキッカケにクラスで孤立していて、生きづらさを感じていたところに、周囲の目も関係なしにサトミの幸せを問いかけては歌おうとしてくるシオン。
そんな奇行の末に、何人かのクラスメイトに秘密がバレてしまい、サトミはシオンの秘密をバラさないように懇願する。

(広告では「ポンコツAI」と紹介される)シオンを取り巻く面々は、初めは困惑するも、シオンが引き起こすドタバタと歌によって、次第に、各々が抱えていたディスコミュニケーション問題を解消していく。


という感じで物語が駆動していく。

【感想】

鑑賞後に様々な反応・感想を見ていると、ある人物を中心に次第に周囲の関係性が動いていく青春群像劇について「『桐島、部活やめるってよ』のようだ」と評する人もいたり、監督自身もその影響を受けていたといっているインタビュー記事もあったが、自分の感想としては(『桐島、〜』を観ていないこともあるが)、突如現れた不思議な人物の行動により、秘密を共有する仲間たちが、自分の抱えている悩みやわだかまりを顧み、徐々に解消していくさまを見て、これはオリジナルTVアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(通称『あの花』)の構造に近いな、と思った。

物語を駆動する不思議少女と、女子2人、男子3人、という組合せも同じで、初期設定カップル、物語中盤の三角関係、最終的な収まり方といった、物語を面白く動かせる関係性が作り出しやすい構造なのかな、とも思った。
(本作は『あの花』ほど心をグチャグチャにかき乱す系の関係性ではないが)

本作ではシオンを含め、誰が誰を見つめているかが重要であることが、様々なシーンに挿し込まれる視線の描写でうかがうことができた。それにより、各キャラの言葉にしない(できない)心の内が感じ取れて、(押し付けられない形で)観ている側が自然と同調でき、それを下地に、シオンの行動結果を自分のものとして受け取り、感動を内側から味わうことができた。

【AI描写と未来像】

AI描写については、約10年前に観た『イヴの時間』に比べ、時間が経った2020年代だからこその表現になっていた。人間とAIとがともに暮らす風景が、前作ほど突飛なものには思えない、自然な導入となっていた。

監督がインタビューや自身のTwitterでも言っていたが、サトミの家は古民家風で、そこに後付けでIoT製品が組み込まれており、観客が住む現代社会から地続き感のある自然な未来像として、グラデーションのように入り込める作りになっている。

舞台設定が「実証実験中の都市」であることもその一助となっており、その場所以外はまだ我々と同じかも、と安心する想像の余地を残している。
隣ではこんな実験をやってるのか、くらいの近さを保って、観客を突き離していない。観客自らが物語世界に「徒歩で」歩み寄っていける距離感。

そこに、不思議少女・シオンだけは(監督曰く「大きな嘘」として)本物の女子高生と見間違うほどの精巧さで描かれて物語に登場する。

他のAIロボット(田植えロボットや、校内お掃除ロボット)と並ぶと、シオンのキャラクター性がクッキリ、ハッキリし、周りとは違う特別な舞台装置的な位置付けとなる。

AIを自然に受け入れて生活している主人公たちでさえも、そこには驚く
 →観客も(AI馴れした主人公たちでもシオンの存在に驚くことに)驚く
 →観客と主人公たちとが立場的に同調し、かつ、シオンの特異性が際立つ
…という連鎖が生まれる。

観客が置いていかれていない流れができているため、主人公たちと同じ場面で驚き、感動できる。

本作へのオピニオン・コメントとして、アニメ『プラネテス』の監督・谷口悟朗氏が、「近未来の御伽話。吉浦監督の『イヴの時間』、その先にあるものを見られる幸せがここにある」とコメントしていた。
確かに『イヴの時間』よりも解像度の高いAI社会の描き方をしていて、久々に明るい未来を想像することができた気がした(もちろん、AIの怖さ、得体の知れなさ、というのも表現しつつ)。

ちなみに、本作の脚本は、吉浦監督と大河内一楼氏の共同脚本で、大河内氏は『プラネテス』のシリーズ構成・全話脚本を手掛けた方。
未来像を考え描いてきた人たちにもある種のグラデーションを感じた。

【キャラクター】

みんなイイ子。

【ミュージカルパート】

物語の軸となるシオンの「歌」は、ミュージカル風。

ミュージカルは、観客側の意識が「これから自分は、ミュージカルを観るぞ」という状態になっているのが暗黙の前提になっていて、普通の会話の中にイキナリ歌が挟まれると、本来ならば戸惑ってしまうはず。

『君の名は。』では、入れ替わり日常生活をRADWIMPSの軽快な曲に乗せて紹介していたけども、あれはあくまで主人公たちには聴こえない、観客向けの音。

ミュージカルでは、また少し配置が異なる。
ミュージカル内の歌は、もちろん登場人物に聴こえている描写になっている場合も多いものの、あれは主人公たちの内面や関係性などの抽象的な思いを、歌の形式を借りて具象化したものであり、歌っている裏には、主人公たちの現実時間の流れがあるはず。
歌を聴いている(ように見える)場面は、生活時間の様々な活動を実際に止めて聴き入っているわけではなく、いわば、現実時間の流れの一瞬(〜数秒)にカット・インしてきた、思いの表れ、と捉えるのが自然な気がする。
歌声は「観客へ内なる思いを伝える」「歌うものが自分の思いを吐露する(あるいは、吐露したい)」ために機能し、劇中の他の登場人物へは、裏(現実時間内)で別の形・方法で伝わったり(あるいは伝わらなかったり)していると考えられる。

高度な「カクカクシカジカ」と捉えるべきと思う。

しかし本作のシオンの歌声は、そういった間接表現ではなく、本当に、劇中の他の登場人物の耳を通して直接入っていく。
シオンはAI的な裏技で、IoT化したピアノ、スピーカー、照明等を使役して(いわく「みんなに手伝ってもらって」)、劇中舞台に本当の音と演出を加えて歌う。
だからこそ、主人公たちはなんでイキナリ?と戸惑い、観客も同じ立ち位置で戸惑う作りとなっている。

普通にはなかなか受け入れられない可能性を秘めた攻め方だが、そこにはちゃんとした必然性があり、これでないといけない、という説得力がある物語構造となっている。
(これ以上は言えない…)

それと、シオンの声をあてている女優・土屋太鳳氏の歌唱力がハンパない!
歌い方についても、AIが学習していくさまを意識していたようで、物語の前半と後半ではやはり歌い方(息遣い)が違うことがリピート鑑賞で確認できた。

【シナリオ】

吉浦監督が『イヴの時間』から描いてきた「人間とAIとの関係性」に加えて、「「人間同士の関係性」とAIとの関係性」にもスポットを当てている。
AIがありふれた存在となった後の、ヒトとヒトとAIの関係性。

劇内では、もはや大上段に構えて「ロボット三原則がー」などとは唱えてはいないが、もちろん人間の役に立つロボットの在り方として根底には意識してあって、それがシオンのさり気ない仕草だったり反応に表れて匂わせている。
積極的にそれを意識させる部分としては、シオンの仮名が「芦森詩音」と、苗字がアシモフ由来であることくらいか。
(追記:舞台の「景部市」というのも、アシモフの小説『鋼鉄都市(The Caves of Steel)』から来ていそう、というのを後から知った)

『イヴの時間』ではやや奴隷的に見受けられたロボット観が、本作ではもっと自発的で能動的な振舞いを持つ可能性を示していたのは、吉浦監督の未来観が、明るい方向にシフトした表れであろうか。

また、劇中の様々なカットに、とにかく無駄なものはなく、全てに意味があったような印象。
伏線回収、という言葉では言い表せないくらいに、シオンの行動原理や思考(思い、と言っても良い)が一貫しており、その一途さにも心打たれる。

【その他】

一番のお気に入りシーンは、柔道を社交ダンスに見立てた乱取り稽古のシーン。

残念ながら、宣伝、売り出し方がうまく行っていなかったのか(自分も間接的に知った次第)、劇場はなかなか空いていた印象。もっともっと知られるべき作品であることは間違いないデキ。

円盤出たら買うね。

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