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人にやさしく

夢を見た。高校時代に戻った夢。

実際には地元の進学校に通っていた僕だったが、夢の中では質の悪い高校に入学していた。テストでは得意だった英語が何も解けない。仲の良い友達からは相手にされない。いくら頑張っても、いくら良くなる努力をしても上手くいかない。正しい心でいても何も変わらない。悔しくても悔しくても誰も分かってくれない。そんな夢。

【頑張れば何でも出来る。出来ないのは努力が足りないだけ。出来ないのは自分がやらないだけ】

そんなありふれた言葉なんて通用しない。本当に何をやっても出来ないし、問題すら理解出来ないくらい頭の回転が鈍くなっていた。


そして目覚めた。
何となくYouTubeを開いてみると、なぜかブルーハーツの曲がお勧めに上がっていた。学生時代に聞いていたけど、ここ10年は聞かなかったし、YouTubeでも検索したことなかったのに。

久しぶりにブルハの曲をいくつか聞いてみた。言葉がとても優しかった。優しさが心を包んでくれた。
出来ない人を出来るようにするんじゃなくて、出来ない人の存在価値を認めてくれる。


現実的ではどちらかというと僕は出来る側だった。努力もあったかもしれないが、誤解を恐れずに言うと、正直言ってそれは生まれつきのものだ。子供の頃は女の子に間違われて可愛がわれていたこと。小さくもなく大きすぎることもない身長180cmの体型は、パワーとスピード両方あるちょうど良いバランス。兄弟3人いたが全員生徒会長になるような、いわゆる主役を任せられるタイプ。他校の女子からよくら告白されたりと、ストレスもなく、むしろ恵まれた人生。当時不良文化がまだ残っており、友達が他校の不良に襲われたりしても僕だけは何故かやられなかったりと今思えば運の良さも人と違っていた。

でもそれはほぼ両親やご先祖様の遺伝子が大きいだけで、自分の力でも何でもない。それを自分が得意げになることではないとある時期から自覚していた。スポーツが出来たのもこの体のサイズや筋肉の質、骨の強さ、どれもご先祖様からの戴き物。可愛がられていた顔もそう。頭もこんな風に産んでくれたもの。全て自分ではなく、受け継いだもの。周りの力あっての自分。何でも自分の努力でどうにか出来るものではない。だから他の人が出来ないことを何で出来ないのかと努力不足だと結論しても駄目なのだ。

しかし人間というのはそれを理解していても、日常では忘れてしまう。出来ない人や何でもやる事が遅い人、挫折してしまう人に苛立ったり注意したり怒ったりする。でも本人だって自分が出来ないことを自覚しているし悔しい気持ちばかりなのだ。差別ではなく、会話もできて普通に生活しているようでも、二つのことを同時に処理できない脳の人もいる。見た目は普通でも一度に二つのことを言われると一つを忘れてしまう人もいる。初めはそういう人の事を理解して付き合っていても、途中から忘れて怒ってしまったり、努力が足りないからだと責めてしまう。改善の余地はあるだろうが、無理なことは無理なことだってある。

正論や正義ぶった意見で、「出来ないのは自分のせい」とか「出来ないのはただやらないだけだ」とかのレベルじゃない。だって出来る人でも苦手なことや出来ないことあるでしょ。


今朝の夢、そしてブルーハーツの曲はそれを教えてくれたような出来事だった。

どんな人も受け入れて認める。自分ができる事は自分の力だけではなくて人から受け継いだ力が殆ど。そう思うと生きるって感謝しかない。成功や喜びもひとがいないと成立しなかったもの。

定期的にみる「考えさせられるゆめ」「過信しない夢」「身を引き締めてくれる夢」

多分、神様かご先祖様か、守護霊か、ほかの高次元の存在か何かが見せてくれる「ガイド」なのだろう。


今日も感謝の気持ちを持って日曜日を過ごしてまいります。


あっ、ブルーハーツ最高!

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