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食券

illustrated by スミタ2024 @good_god_gold

 さんざん苦労して現金を用意したのは向こうの世界へ行くためで、未だにあちらでは物資の交換手段として現金が使われていると聞いたときには比嘉も驚いたのだった。現金だけではない。手は石鹸で洗うし、インクを使って文字を書くこともある。神仏はプラグインではなく建物の中に物質の形で据えられているらしいし、ガソリンで走る車もまだ使われているのだという。
「そろそろ行きましょうか」
 声をかけてきたのは初老の男性だ。比嘉といっしょに向こうへ渡るこの人物は先生と呼ばれているが、どこかの学校で何かを教えているという以外のことはわからない。
 比嘉は先生と並んで金属製の青いドアの前に立った。人工太陽の光を受けて鈍く光るこのドアを一度くぐれば、二度とこちら側へ戻ってくることはできない。
 ドアの横には小さなカウンターブースがあり、若い係官が二人の様子を静かにじっと見守っていた。その後ろから一人の女性がふらりと現れた。係官と同じ制服を着ているが肩の階級章に刻まれた線の数は遥かに多かった。向こう側についての最新情報を提供してくれる専門官だ。これまで戻ってきた者はいないので厳密ではないが、それでも各種の調査から、向こう側についての知見はある程度蓄積されている。
 彼女は背が高く、しばらく二人を見下ろすように眺めていたが、不意に制服のポケットから四枚の小さな板を取り出した。二枚ずつ二人に渡す。
「これは?」
 比嘉は自分に渡された二枚の板に視線を落としながら尋ねた。樹脂でつくられた薄く丸い板は、一枚が赤く、もう一枚は青かった。どちらも端のほうに一カ所だけ小さな穴が空けられている。
「食券です」
「食券?」
「向こうでは一般的に食堂という場所で栄養の補給をします。その食堂で栄養補給の申請をするにはこの食券が必要なのです」
「自宅には供給されないんですね」
「詳しくはわかっていませんが、栄養補給は食堂で行われるのです」
「敵もかね?」
 先生が聞いた。
「敵も食堂で栄養補給を?」
「おそらくは、そうでしょう」
 先生の顔が険しくなった。
「であれば、我々が栄養補給しているときに敵に遭遇する可能性もあるわけだな」
 彼女は肩をすくめただけで何も答えなかった。

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