言いわけよりも
プロジェクターの映像が消え、窓のカーテンが開かれると会議室が一気に明るくなった。
箱形に並べられた机の向こう一列には、スーツ姿の男女が二十人ほど座って、黙ったままじっとこちらを見ている。
長谷川は隣に座っている田辺にチラリと目をやった。田辺は広告会社の営業マンである。
「俺から先に何か言ったほうがいいのか?」
囁くような声で聞く。
「言わなくて大丈夫です」
田辺は正面を向いたまま囁いた。
「どうですか。すばらしいでしょう。我が社の取り組みは」
得意満面に口を開いたのが、この食品会社の社長である。でっぷりと太った体の上に乗った赤ら顔とギョロリとした大きな目は、長谷川にタコを想像させた。
「ええ、すごいですね」
長谷川は感心したように頷いた。
「今、ご覧いただきましたようにですね、弊社ではこのたび超ヘルシー安心弁当をリニューアルして、全国で一斉発売いたします」
向かい側のスーツ男性が蕩々と話し始めた。彼が宣伝の担当者だ。
長谷川はそっと顔を窓に向ける。青い空に入道雲がどこまでの高く上っていた。
たしかに画期的な弁当だった。
米や麦といった穀物から野菜までを自社が持つ田畑でつくっていることは知っていたが、肉類を生産する農場や養殖場まで持っているとは知らなかった。
「この超ヘルシー安心弁当で、全国のお客様が口にされるものは、すべて一からつくっています」
宣伝担当者が胸を張る。
「今回のコマーシャルでは、この点を強く押し出していただきたい」
「もちろんです」
田辺が大きく頷いた。
「長谷川監督は自然を瑞々しく撮ることに長けていますから、まちがいなく御社の食材が一からつくられていく課程を、最高の映像で収めるでしょう」
「それは頼もしいですな。よろしくお願いしますよ」
社長の顔が大きく膨らんだ。おそらくほかの広告会社にも同じことを言っているのだろうが、それでも頼もしいと言われるのは悪くない。
「はい。お任せください」
「がんばります」
田辺に合わせて長谷川も頭を下げた。
十日後、長谷川の出したコマーシャル映像の企画はすばらしいと絶賛され、そのまま採用されることが決まった。
「ハセさん、決まりましたよ」
「修正は?」
「ありません。ハセさんの出した企画のままでオーケーです」
「おお、それは嬉しいな」
さっそく撮影の準備が始まった。
食品会社の所有する田や畑、それに農場や漁場をまわって、それらがいちばん美しく撮れるタイミングを検討していく。もちろんそれだけではなく実際に収穫されたものが、どのように加工されて、最終的な商品になっていくのか、その過程を丁寧に追うのである。
「いつどこで何が収穫されるのか、表にまとめます」
こうなると、もはや単なるコマーシャルなどではなく一次産業を総ざらいする大ドキュメンタリーである。とはいえ放送の時期は決まっていて、撮影に何ヶ月も掛けるわけにはいかない。
「さすがに、それぞれの旬に合わせて撮ることは無理ですね」
それまでノートを睨み付けていた助監督が首の後ろで手を組み天井を見上げた。
「だからハセさんなんだよ」
田辺が笑う。
なぜか長谷川が自然を撮ると、たとえ時期がずれていても、もっともふさわしい季節に撮ったように見えるのである。
こうして全国各地で次々に撮影が行われ、弁当に使われる食材のすべてが映像素材として納められた。
超ヘルシー安心弁当。すべては人々の安心と健康のために。
美しく広がる金色の田圃。目が覚めるほど青々とした畑。雄大な牧場をゆったりと進む牛の群れ。陽の光を反射して銀色に輝く魚たち。限りなく透き通った水の流れ。風。森。空。
印象的なカットが重ねられ、それらが一つの弁当に集約していく。
「できたんじゃないかな」
薄暗い編集室のモニターを見ながら、長谷川は呟いた。目の下には疲労のあとがくっきりと浮かび上がっている。
「完璧ですよ、これは」
田辺が頷いた。
「きっと喜んでいただけるはずです」
「だよな」
そう言って二人は顔を見合わせて笑った。たしかに疲れてはいたものの、完成させた達成感のほうが勝っていた。
「ハセさん、ちょっとだけ修正が必要になりまして」
田辺からの電話は暗いトーンで、何やら良からぬことが起きたのだと長谷川は直感した。
「コマーシャルに修正はつきものだからな。気にしないでいいよ」
「編集室で映像を見ながらお話しをしてもいいですか」
「わかった。すぐ行くよ」
「今回の超ヘルシー安心弁当ですが、弁当の一部には輸入米が使われているそうなんです」
「えっ? だって自社の田圃があるだろ?」
「それがですね、あまりにも丁寧に育てているので生産量が追いつかず、ぜんぶの弁当には自社の米が使えないらしいんです」
「ありゃあ、それは先に言っておいてくれたら良かったのにな」
長谷川は渋い顔になった。超ヘルシー安心弁当に使われる米は、すべて自前でつくられていることを印象づける編集になっているのだ。
「先方もそれはよくわかっていまして、だからテロップで処理してほしいと」
「しかたがないな」
米の自社生産を印象づける映像にテロップが載せられた。
――一部の商品を除きます――
できあがった映像がすぐにネット経由で送られていく。以前は、完成した映像を見てもらうために、いろいろな準備が必要だっから、その点だけは楽になった。
すぐに田辺の携帯が鳴った。
「はい、はい、ええ。なるほど。わかりました」
耳から携帯電話を離した田辺が慌てた声を出す。
「それとですね」
「まだあるのか」
「ええ、野菜が」
「自社じゃないのか?」
「ええ。弁当自体はそれぞれの地域でつくるのですが、地域によっては野菜の鮮度が保てないので、地元の畑から買っているそうなんです」
野菜はすべて地元で生産されていることを強調する映像にテロップが載せられた。
――地域によります――
再び携帯電話が鳴る。
「あと、肉も」
「豆も」
携帯電話が鳴るたびに、田辺が食材名を告げていく。
――季節によって異なります――
――一部の商品に限ります――
「それから、魚はそのまま使うのはやめて、出汁をとるだけにするそうです」
――魚はイメージです――
もはやすべてのカットに何らかのテロップが載っている状態だった。それなりに時間を掛けて撮った映像のほとんどに、言いわけが必要になっている。
「これってコマーシャルとして機能するのだろうか?」
長谷川は思わず首を拈った。
自分自身は超ヘルシー安心弁当のコマーシャルをつくっているうちに、どんどんこの弁当が好きになっている。生産地の美しさに感激し、一つ一つの食材を丁寧に扱う仕事ぶりには感心した。試食会ではあまりの美味しさに、思わず三つも食べてしまったほどだ。
だからこそ、この商品が客のためにどれほど綿密に計画され、工夫と努力を積み重ねてつくられているのかを丹念に描いたつもりなのだが、こうなると、コマーシャルを見た者にいったい何が伝わるのか、長谷川にもわからなかった。
「ともかくこれで完成だな」
テロップだらけの完成形を見ながら、長谷川は大きく溜息をついた。最初からこれがわかっていたら、まるで違うアプローチで描いたのだが、今さらやり直すわけにも行かない。
それでも、全国各地で誰かがこれを食べるきっかけになれば、少しでも食べてみようと思ってくれたら、コマーシャルとしては役に立ったと言えるだろう。
「ハセさん」
携帯電話で何やら話し込んでいた田辺がこちらに向き直った。
「テロップだらけでよくわからないから、もう商品の写真だけでいいそうです」
田辺が申しわけなさそうに頭を下げる。
「いや。俺もそのほうがいいと思う」
長谷川は力強い声を出した。
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