その瞬間について

 人間が勝手につくった暦の数字が変わるだけで、これといって世界のありようが大きく変わるわけでもないのに、それでも年末になればそこに何かしらの区切りがあるような気がするから習慣とはおもしろいものだと思う。
 勝手につくられた数字だと思いながらも、年末になるたびに僕はその数字が変わる瞬間についてなんとなく考えているような気がする。どこでどんな人たちがどのようにその瞬間を迎えるのだろうと想像するのだ。
 何気ないけれどもかけがえのない日常の延長として年越しの瞬間を迎える人たちもいるだろうし、みんなで集まってカウントダウンをしたり、エンタメコンテンツを楽しんだりしながら年を越す人たちもいるだろう。インフラを担う人たちはその瞬間を意識する間もなく働いているかもしれないし、災害や戦争、病気やケガなどの禍中でたいへんな思いをしながら、せめて何かがリセットされたらと願う人たちもきっといるだろう。年越しのタイミングで生まれる赤ちゃんだっているし、その瞬間に息を引き取る人もいる。
 それぞれが異なる環境で、異なる立場で、異なる思いを持って年を越していく。あるいはこんなのは自分だけだろうと思っている状況を、どこか遠くで同じように体験しながら年を越している人がいる。
 僕は自分の身の回りだけの小さな世界の中に暮らしているからうっかり忘れてしまいがちだけれども、年に一度でもいいからこんなふうに想像する機会があると、僕よりも僕以外の人のほうが多いのだというあたりまえの事実を思い出すことができる。
 そういえば、いつだったかトイレにいるときに除夜の鐘が鳴り始めたことがあった。なんとか鐘の鳴り終わる前に用を済ませてトイレを出たかったのだけれどもうまくいかず、残念ながら僕は新年をそこで迎えたのだった。
 これだってきっと僕だけじゃない。世界にはトイレでうっかり新年を迎えたウンの良い人がたくさんいるはずなのだ。
 今年最後の投稿でした。よいお年をお迎えください。

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