架空のカメラで
僕の受け取り方が間違っていなければ知人の写真家二人、幡野広志さんもワタナベアニさんも「結局、写真ってのは被写体との関係性が映るのだ」「被写体について考える自分自身が映るのだ」と言っているような気がしてならない。もちろん写真には被写体が映るのだけれども、被写体だけが映るのではないのだ。
いつだったか僕はシャッターを押した瞬間の自分自身の感情が記憶されるのではないかと書いたことがある。被写体に関心を持ち、敬意を払い、そこへ向けられる自分の感情が動くときに、写真は本当の意味での写真になるのだろう。前述の二人に言わせれば「いや違う!」なのかもしれないが、ともかく僕はそんなふうに捉えている。
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