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パワーの源

illustrated by スミタ2024 @good_god_gold

 壇上に置かれた台の布がさっと取り払われると、場内から一斉に響めきに似た声とともに拍手が湧き上がった。
「博士、それは何ですか?」
 前方の席に座る記者がすかさず手を上げて聞く。
「これが、これからの宇宙開発に欠かせない最重要エネルギー源となる物質であります」
 博士の得意げな声がホールのスピーカーを通じて場内に響き渡った。
 そのままホールの奥に向かって博士が頷くと、背後の巨大なディスプレーに台の映像が映し出される。ディスプレーの左右にあしらわれている幾何学模様は、もちろん国際宇宙開発機構の正式な紋章である。この発表は今、全世界に同時中継されているのだ。
「名前はアリウム・サティヴァム」
 機構の最高名誉フェローである博士は、そう言って台上の籠に山のように盛られた白い塊を指差した。
 先ほどの記者が再び手を上げる。
「えーっと、それってニンニクじゃないんですか?」
「うむ。そうとも呼ばれている」
 博士が同意すると、ディスプレーに映し出される映像が野生のニンニクに変わる。
「ニンニクは人類が五千年も前から活用してきた食材だが、これに含有されているのがアリインであります。これは天然のスルホキシド、すなわちスルフィニル基を持つ化合物でありましてな」
 ニンニクの画像にスルフィニル基の一般化学式が重ねて表示され、続いて酸化還元反応の仕組みがアニメーションとして映し出された。その間も博士の説明は続いている。
「そして、これはまちがいなくエネルギーとして利用できると、我が研究チームは中華料理を食べているときに気づいたのであります。これによって今後の宇宙開発は飛躍的に前進するはずであります」
 博士は背後のディスプレーに映し出された自分の顔写真とプロフィールを指差しながら、軽くポーズをとり、それから深く頭を下げた。再び大きな拍手が湧き上がる。
「これは宇宙飛行士の栄養源として使われるのですね?」
 記者の質問に博士は首を振った。
「ロケットだよ」
「はい?」
「栄養ではない。ロケットのエネルギー源として使うのだよ」
「ニンニクをロケットに?」
「世界初のニンニク燃料ロケットだ。きっと、とてつもない力を見せてくれるだろう」
 ディスプレーに巨大なロケットのシルエットが映し出された。多段式ロケットの最下層にあるブースター部がニンニクになっている。
 場内から失笑が漏れ聞こえ、博士は慌てて両腕を大きく振り回した。
「もちろん、これはあくまでもイメージを簡略化した図であるから、どうか誤解しないでほしい。このように生のニンニクをそのまま取りつけるわけではないのであります」

 機構の発表が終わると世界中で賛否両論の声が上がった。バカバカしいと切り捨てる者もいれば、これからの展開を期待する者もいた。
 当然のことながらニンニクには俄然注目が集まり、テレビのワイドショーは健康特集を組み、サプリメントが飛ぶように売れた。その一方で、ニンニクを食べ過ぎると胃腸に悪いだの睡眠障害を引き起こすだのといった話もネットに溢れ、医学と迷信が混じり合いながら、ニンニクへの関心はやがて盛り上がるのと同じ速さで薄れていった。
「世間の反応など気にすることはない。所詮あの連中は、ニンニクをエネルギー源としてではなく、あくまで食品として捉えているのだ」
 博士はチームに発破をかけた。この発見が評価されるかどうかは、すべて今後の開発にかかっているのだ。

 四か月が過ぎ、誰もがニンニク燃料ロケットのことなどすっかり忘れたころ、ようやく試作の一号機が完成した。
「やっとここまで来られたか」
 無粋な鉄骨で組まれた試験座に取りつけられたロケットの一部に手を触れて、博士は感慨深げに目を閉じた。ひんやりと冷たい外装パネルの感触が手に心地よかった。
「いよいよ正念場だな」
 博士が言うとチームの科学者たちが一斉に力強く頷いた。
 まずは地上での燃焼試験を行い、動作が正常であることが確認できれば、次はロケットに組み込まれるのだ。
 せっかくの燃焼試験だからぜひ多くの人に見てもらいたかったのだが、すでにニンニク燃料ロケットは過去の話題となっていた。宇宙の町と呼ばれるこの地まで取材に来たメディアはなく、地元のブロガーが二人ほど見学に訪れるだけの静かなお披露目会となった。
 それでもこの実験の重要性は変わらない。博士は硬い表情のままチームの全員と握手を交わしてから所定の位置についた。笑顔を見せるのは実験のあとでいい。
「ロケット点火まで四十五秒」
 施設内に辿々しいアナウンスが流れた。マイクを握る若手研究者も緊張しているのだろう。
 分厚いガラス越しに覗くニンニク燃料ロケットの外観は、一見、これまでに開発されてきた数々のロケットとさほど変わらないように見える。だが、使われているエネルギー源は従来の固体燃料でも液体燃料でもない。ニンニクパワーを用いた、まったく新しい方式のロケットなのである。理論上は人類が体験したことのない凄まじいエネルギーを放つことになっている。
「十秒、九、八、七」
 博士はぐっと握りこぶしを固めた。奥歯に力が入る。この成功が人類の未来を新たなステージへ引き上げるのだ。周囲を見なくともチームに緊張が走っているのがわかる。この瞬間をみんなも待ち望んできたのだ。
 ニンニクは単なるエネルギー源ではない。人類の暮らしが大きく変化するための、そのパワーの源となるのだ。
「点火」

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