コモディティ化には

 十一月十一日に開催された文学フリマには出展者と来場者を併せて一万数千人が集まったという。ものを書きたい人、書いたものを読まれたい人、そして何かおもしろいものを読みたいと思っている人がこれだけたくさんいるのかと驚かされたが、そのわりには書店が閉店するなんてニュースが毎日のように耳に入ってくるのだから、これまでの書籍の販売流通方法はもう時代に合わなくなってきているのだろうなと感じている。
 現在、書籍は雑誌の流通に乗って全国津々浦々に運ばれる仕組みになっているが昨今のように雑誌がどんどん減っていく状況の中では、仕組みに乗っていた書籍の流通だけが残って大いなる重荷になるのは当然のことだろう。
 七十年代半ばから次第に書籍はマスコモディティ化して、やがてベストセラーが次々と誕生するが、中島梓があの名著『ベストセラーの構造』で指摘したように、じつは「読まない人まで買う」からベストセラーになるわけで、もともと書籍なんてそんなに売れるものではないし、たぶん大量に売れてはいけないものなのだ。
 ところが七十年代の前半には五億部足らずだった書籍の実売数は七十年代後半に十億部足らずと倍近くに膨れ上がっていく。これはもちろん団塊の世代が話題になった本を競うようにして書棚に並べたからで、その結果多くの大手出版社は書籍をマスに向けた商品だと捉える経営スタイルに変わってしまう。ベストセラーに頼る経営である。
 けれども、大量に刷られたものが大量に配本され、一定期間だけ店頭に並んだあとは返本されて大量に廃棄される。そういうビジネスモデルはそろそろ限界が来ているのではないだろうか。届けるべきものが届いてほしい人に過不足なく届く。そういう書籍の流通方法を考え始める時期が来ているのではないだろうか。
 一つの物語や世界観、あるいは一つの考え方が日本全国をまんべんなく覆い尽くすのではなく、いろいろな本が少しずつ世の中に出回っているほうが健全だと僕は思っている。もちろん自分の書くものがたくさん読まれたら嬉しいし、経済的にも安定するからありがたいのだけれども、大量にばらまかれて大量に戻ってくるくらいなら、本当に読みたいと思ってくれる人のところにだけひっそりと届けばいいと思うのだ。
 東京の会場だけで一万人なのだから全国ではこういう人たちがもっといるはずで、彼らを中心に書籍のマーケットを小さなサイズから再構築するのが今のところ日本で出版に携わるための最適解ではないかという気がしなくもない。
 うろおぼえの数字と急ごしらえの上っ面な知識だけで書籍流通のことをあれこれ書いたものの、実は今日書きたかったのはこの話じゃない。

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