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おふくろの味A

illustrated by スミタ2021 @good_god_gold

 初めて入ったその店はカウンターの奥半分が網になっていた。そのぶん普通の店よりはカウンターに奥行きがある。
「なるほどね、これで焼いて手前で食べるわけだ」
 伊福はパンと手を叩いた。関西のお好み焼き店などでは鉄板を仕込んだカウンターもたまに見かけるが、こうした小料理屋では珍しい。
 焼酎のグラスと突き出しが置かれたあと、カウンターの向こう側へ顔を向けた。伊福のほかにはもう一人、静かに飲んでいる男がいるだけだった。淡々と網の上で肉を炙っている。
「これ、うまいこと考えたね」
 突き出しのお浸しを口へ運びながら網を指差してそう言うと、褒められて照れたのか大将は頭を掻いた。
「いやいや、天神町の桜さんってご存じですか?」
 この辺では有名な焼き肉専門店だ。
「知ってるよ。行ったことはないけど」
「あそこが元祖だそうですよ。たぶんうちのほうが早かったんですけど、ネットを見るとあそこのアイデアをうちがパクったことになってますから」
 大将は淡々とした口調で言うが、顔つきは憮然としている。
「ああ。まあ、有名店ってのはそういうとこで有利だよなあ」
 アイデアに絡む話はいつもどことなく胡散臭い匂いがついて回る。
 伊福は焼酎をグイとあおってから、メニューを手に取った。おふくろの味しのぶ、と筆ペンで黒々と書かれているが、字はたいして上手くなかった。おそらく大将が自分で書いたのだろう。
 いかにも小料理屋で出しそうな品が一通り書かれていて、どれも美味そうに見える。
「おふくろの味かあ」
 焼酎のお代わりを頼んで、伊福は椅子の背にもたれ掛かった。
「こういうのって難しいでしょ。だって家庭ごとにおふくろの味なんて違うわけだからさ」
 うつむいたまま調理をしている大将の眉が片方だけピンと跳ねる。
「こんなのうちのおふくろの味じゃないって言われない?」
「ええ、まあ。いちおうそのへんは何とか、おかげさまで」
「そうなんだ」
「文字通り、母親の味を堪能していただけているかと」
 大将がすっと顔を上げた。どこか自信に満ちた表情をしている。
「それじゃあ、まず野菜炒めとコロッケをもらおうかな」
「へい、ただいま」
 注文すると大将はすぐに厨房の隅にある冷蔵庫へ向かった。もう一口グラスの酒を含んでから伊福は奥の客にちらっと目をやった。どうやら男もこちらを見ていたようで、目が合う。
「あ、どうも」
 意味もなく男に向けてグラスを持ち上げると、男も同じようにグラスを持ち上げ、互いに乾杯の真似事をした。
「ここ、本当におふくろの味ですよ」男がポツリと言った。

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