これは小説になっていません

 初めて僕が小説を書いたのは二〇一三年のことで、それまで僕にとって小説とはあくまでも読むもので書くものではなかったのに、なぜか書く側に片足を置く羽目になったのは文芸誌の編集者からの依頼がきっかけだった。
 放送局に勤めていたころに運用して感じたSNSの使い方について僕なりの考えをまとめた書籍『中の人などいない』を読んで小説を依頼しようと思ったのだと編集者は言う。あれを読んで小説を書けとはなかなか無茶を言う人だなと僕は思った。
 それまで小説を書いたことのない人に書かせる「はじめての小説」を雑誌に載せる企画だから多少粗くても平気ですと言われたものの、もちろん書くつもりなど毛頭なく、僕には無理です僕に小説が書けるとは思いませんからと、それでもその場で断るのは失礼だと思ったから一度持ち帰ってから丁重にお断りをした。
 ところが編集者はそこで諦めずに粘るのだ。そう言わずに何でもいいから書いて欲しいと言うのだ。いったい編集者とはそういう生き物なのだろうか。とにかく諦めないのだ。
 僕は困った。かなり困った。子供のころからそれなりにおもしろい小説を、しかもそれなりの数を読んできたつもりだから、自分にはあんなにすばらしいものが書けないことくらいは重々わかっている。とてもじゃないけれど僕に小説など書けるはずもないし、何よりも恥ずかしい。ところが編集者は粘るのだ。古くなった納豆の粘り気並みにしつこいのだ。
「みなさん初めて書かれる人ばかりですから。今回はそういう特集ですから心配いりません」
 そう言われた僕は面倒くさくなって、だったら何でもいいから適当に書いて渡せばいいやとこっそり心の中で思ったのだった。あれこれ理由を並べて断るよりも実際に書いたものを渡せば、さすがに納豆の編集者だって「ああ、この人に依頼したのは間違いだった」と気づいてそれ以上は何も言ってこなくなるだろうと考えたのだ。
 そこで、およそひと月ほどかけて僕は一編の短い物語を書いた。かなりわけのわからない物語だったものの、いちおうは僕なりにきちんとまじめに書き終えたものをすぐに編集者へ送り届けたら、そのまましばらく返事がなかった。
 予想通りだった。しめしめ。今ごろは「ああ、ダメな人に依頼してしまった」「うっかりしていた。失敗した」と思っているだろう。きっとこれで諦めるはずだ。すまぬ。だが僕はそういう人間なのだ。これで小説を書けだなんて無茶な依頼から逃れることができたと思っていた。
 ところが、である。そのまま放置されるかと思っていたら突然連絡があったのだ。
「実は、書いていただいた話のテーマが別の有名作家さんとすごく似ていまして」
と、編集者は切り出したのだ。
「できれば、別のお話に挑戦していただけると嬉しいのですが」
と、編集者はさらに続けるのだ。
 いや、ちょっと待ってくれ。書いたものを読めば依頼を撤回するはずなのになぜか僕が小説を書く前提で話が進んでいるじゃないか。どういうことなんだ。
「お願いしますね」
と、編集者は軽やかに言い残して消え去ったのだ。
 僕は途方に暮れた。テーマがかぶっているから別の話をと言うのは、つまりテーマがかぶっていなかったらOKが出たということなのだろうか。まさか素人の書いたヘンテコな話にOKが出るとはもちろん思えない。
 それでも僕の中にはなんとなく意地のようなものが芽生えていた。
「有名な作家とテーマがかぶっているとして、そもそもなぜ僕が引くのか。その有名な作家が引たっていいんじゃないのか」
 もちろんそんなわけがない。誰に聞いたって当然のことながら引くのは僕だと言われるだろう。
「ああ、だったら残念ですけど終わりですね」
 そう言えばよかったのに妙な意地が災いして僕はそこからもう一編の物語を書くことになった。あれこれ悩みながら新しい話を創り上げて編集者に送ると、今度はすぐに返事があった。
「これは小説になっていませんね」
 小説になっていない。ここで僕は本当に頭を抱えることになった。いったい何がどうなると小説なのか。小説と小説でない物語の違いは何なのか。なぜ小説でないと言われるのか。だったら絵本は小説なのか? 神話は小説なのか? 落語や講談は小説なのか? そのときの僕にはまるでわからなかったし本音を言うと今でもよくわかっていない。
「ああ、だったら残念ですけど終わりですね」
 ところが、である。そう言えばよかったのに僕はなぜか書き直し始めたのだった。そして、そのとき僕は自分に対して二つのルールを決めた。
 一つ目は一人称を使わないこと。語り手は登場人物とは別の存在で「僕」や「私」を主語にした物語にはしないこと。
 もう一つは自分の過去の体験をそのまま書かないこと。自分自身の体験を基にするのではなく、あくまでも空想で創り出した世界や人物を描くこと。
「僕」や「私」を主人公にして自分の体験をそのまま描くことは、たぶんそれほど難しくはないし、きっとそれなりの形にできるだろうと、今から思えばかなり傲慢なのだけれども、とにかくそのときの僕はそう考えたのだ。けれどもそれではダメなのだ。この先も何かしらの文章を書いていくのだとしたら、過去の自分の中にも今の自分の中にもない世界を、めいっぱい想像力を膨らませて描くことができなければ、きっと続かないと思ったのだ。体験をそのまま書くことはしない。想像で書くのだ。高くかかげたそのバーを超えられなければ、きっと僕は自分の話を一度書いただけで終わるだろう。
 そのためにはこの二つのルールを守らなければ。
 考えてみればおかしな話で、小説を書く気など毛頭なく、できれば断りたいと思っていたのに、なぜか僕はその後も書き続けるためにはどうすればいいかを考えて、わざわざ自分で余計な制約を設けたのだ。
 小説になっていないものを小説にする。はたして何をどうすれば小説になるのかもわからないまま、僕は自分の書いた話を何度も何度も読み直しては文章を足し、あるいは削り、最初の話とはずいぶん変わった一編の物語をなんとか書き上げ、あらためて編集者に送った。
「小説になっています。すごくいいですね。掲載しましょう」
 そう言われた。即答だった。最初に書いたものと直したものとで何がちがっていたのか。もちろんプロットも展開も会話もぜんぶちがっているのだけれども、僕にとってはどちらも同じような物語で、それなのに片方は小説になっていなくてもう片方は小説になっているというのだから僕としては困惑するよりほかなかった。
 そのときの困惑は今でもずっと続いていて、何かを書くたびにはたしてこれは小説なのだろうかと不安になりながら、それでもいちおうの形にして世に問うている。
「これは小説になっていません」
 ここだけの話だが、あのときの一言は僕にとってかなりのトラウマになっている。けっしてそう言った編集者を責めるわけじゃないし、そう言われたことで「小説とは何か」をずっと考えることになったからむしろ感謝しているのだけれども、やっぱり何かを書くたびに不安になるのだ。
 なんとか書き終えた初めての小説は無事に文芸誌に掲載されて、しかもそれなりに褒めてくれる人もいたから僕は内心ホッとしていた。ちなみにその「初めての小説特集」に載っていた「初めての小説」は、なぜか僕ともう一人の作品だけで、それは特集というよりは新人二人の小説がただ載っただけのように思えた。
「お前の書いているものは小説なんかじゃない」
 もしもそう言われたら僕には返す言葉がない。小説とは何かが僕にはわかっていないのだからしかたがない。
 それでもあの日から僕は、日々の暮らしの中で感じたことや、ふと頭に浮かんだことを基にして、僕には世の中ががこんなふうに見えているのだと、こんな感情にとらわれることがあるのだと、こんな人たちがいてほしいのだと、はたしてそれを小説と呼ぶかどうかはわからないけれども、愚にもつかない空想と妄想を封じ込めた物語の形にして、今日もなんとか文字を書き連ねている。

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