正しい方法

 僕はどちらかと言えば、僕とは違う誰かの感覚や考え方、ここではない場所での人生を体験するために本を読んでいるように感じている。
 今ここにいる自分が消えて、別の世界で見知らぬ人たちと会話をしながら彼らの考え方や感覚に驚き、納得し、あるいは反発し、世の不条理に絶望し、人間はそんなふうに行動するものなのかと戸惑い、何一つわからないまま、やがてここへ戻ってくる。そうやって自分だけでは体験できないはずのことを体験する。僕にとっての読書とはそういうものだ。
 人生は一度きりなのだけれども、本を読むとそのたびに僕は別の世界でしばらく生きることになるから、なんとなく自分の人生がいくつか増えたように感じるのだ。
 ときおり旅に出たくなるのもきっと同じことなのだろう。どうやら僕は自分が自分でなくなる感覚をいつも求めているらしい。これまで身につけてきた知識や技術がまったく役に立たない場所で、ただ目の前のできごとに反応し、ゼロから世界を学んでいくような感覚が好きなのだ。
 好きなだけ旅に出られたらいいのだけれども、なかなかそうもいかないので僕は読書によってそうした感覚を楽しんでいるのだろう。
 旅に出るとき、読書をするとき僕は他者に出会う。けれどもその他者は、じつは最初から僕の中にいる。旅や本の中での出会いが、それまで僕の中にひっそりと隠れていた他者を見つけ、引っ張り出す。

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