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通知

illustrated by スミタ2021 @good_god_gold

 デスクの飯尾はシノブニュース編集部の居室に入ってくるなり大声で怒鳴り散らした。
「おまえら一九時の更新どうするんだよ。ぜんぜん予定が立ってないじゃないか。え? 新しいネタはないのか!」
 身体を揺すりながら大股で自分の席に向かい、激しい音を立てて椅子に腰を下ろしてから、ぐるりと周囲を見回した。部員たちは飯尾の視線から逃れようと頭を下げ、仕事に没頭しているフリをしている。
「おい、そこ!」
 飯尾は部屋の奥まで届く声を出した。
「申しわけありませんッ」
 悲鳴にも似た声をあげたのは井塚だ。
「何がだ?」
「えー、とにかく申しわけありません。この通り、お詫びいたします」
「ネタがないってことか?」
「詳しいことは言えませんが、本当に申しわけありません」
 井塚は自席で立ち上がり、深々と頭を下げた。
「いちいち謝るんじゃない」
「はい。すみません。本当にすみません」
 頭を下げたまま井塚は微動だにしない。
「謝ることばかり得意になりやがって」
 飯尾はうんざりした顔つきで首を横に傾けた。
「丸古、そっちはどうなんだ」
「はあ、特にこれと言ったネタはありませんねぇ」
「無かったら」飯尾は丸めた紙でバンバンと机を叩いた。
「つくれよ! つくるんだよ!」
「えっ、でも、そんなことしたら」丸古は口をあんぐり開ける。
「でもじゃねえ。俺たちはニュースで飯食ってんだ。まったく素人じゃあるまいし」
 そう言って椅子から腰を持ち上げた飯尾は、すぐ隣でパソコンを覗き込んでいる街野の横に立った。
「街野、おまえは何かネタがあるだろ?」
「え?」街野の身体がビクンと震えた。
「だからさ、何だっていいんだ。SNSで誰かが何かを書いたとか、そんなことでいいんだよ。事実さえあればあとは仕立てるだけなんだからさ」
 街野は首を竦めながらおずおずと切り出す。
「あのう、とあるSNSにちょっと変なアカウントがあって」
「ほう。それがどうした?」飯尾は街野に向き直った。
「新聞かテレビかわかりませんけど、たぶんメディア関係者らしくて、それがときどきすごく古くさいダジャレを書き込むんです。しかもセクハラめいたものを」
「いいねぇ。今どきそんなことを、しかもメディア関係者が書いたらどうなるかわかってないのか、バカだな」
 飯尾は軽く舌を出して楽しそうに唇を舐めた。もともと細い目をキュウッとさらに細くして、何もない空間をぼんやりと見つめる。
「それで、面白がった何人かでおだてて煽ったんです。そうしたら本人は褒められたと思ってますます調子に乗って、取材先でやらかしたセクハラの自慢まで始めちゃって」
「いいじゃねぇか、それだ」
 飯尾が街野の背中をドンと叩く。
「え?」
「いいか、口で言うから直ぐにタイプしろ。見出しは〝メディア関係者による常識外れの投稿に非難殺到‼〟だな。びっくりマークは二つだぞ。で、本文は〝人気アカウントのAが二日までに投稿内容を更新し、昭和レベルの古いダジャレを披露した。あまりにも古くさいダジャレだけでなく、そこに含まれていたセクハラ自慢に、ネットユーザーが一斉に反応。大炎上した〟とこんな感じでいいだろ」
「でも、人気アカウントじゃありませんし、別に炎上はしていませんよ」
「バカか。おまえはバカなのか。いいから今俺の言った原稿をさっさと打て」
 飯尾は顔をくしゃくしゃにして怒鳴りつけたが、街野はパソコンの画面にじっと視線を落としたまま、キーボードに乗せた指を動かそうとしない。
「何だよ? 何か気に入らないのか?」
 飯尾は街野に詰め寄ろうとした。
「だってデタラメじゃないですか」
 街野がすっと顔を上げた。怒りを帯びた目で飯尾を睨みつける。
「は?」
「存在しない事実をでっち上げて、話をつくって、話題になりそうな見出しをつけて、ただ煽ってクリックを稼ぐ。そんなんでいいんですか?」
「ダメなのか?」
 飯尾は困った顔をして静かに首を傾げた。油っぽく汚れた髪を片手で掻き上げると、パラパラと雲脂が落ちた。
「え?」街野の目に影が差す。
「事実のごまかし、文書の改竄、証拠の隠蔽、説明回避。みんな国を挙げてやっていることばかりじゃねえか。国がやってるのに俺たちがやっちゃいけない道理はないよ」
「でも、やっぱりそれはデタラメですよ」
 口の中だけで小さく反論しながら街野は再び視線を落とし、自分の指先をしばらく見つめていたが、やがて何かを諦めて、ゆっくりとキーを叩き始めた。
「あのさあ、国は嘘をつくが俺たちはちゃんと事実をつくるんだ。結果的には嘘じゃなくなる。そうだろ?」
 そう言って得意げに大きく鼻から息を吐いたあと、飯尾は室内に向かって大声を出した。
「おい、おまえら聞いていただろ。ぼうっとしていないで今すぐこのアカウントに向けて非難の書き込みをしろ」
 部員たちは一斉にパソコンに向かうとカタカタと大きな音を立ててキーボードを打ち始めた。アカウントを非難する書き込みを始めたのだ。
「ほら、これで大炎上って事実ができるわけだ。これがファクトだよ。これがニュースってやつだよ」
 飯尾は満足げにそう言うと、もう一度室内を見回してから、自分の席へ向かって大股で歩き始めた。
 ピン。飯尾のポケットから電子音が鳴った。
「なんだ?」スマートフォンを取り出す。
 ピン。また鳴った。
 ピン。
 飯尾は画面に指をやってアプリを立ち上げた。
「なんだかやけに通知が来てるな」
 ピン。ピン。
 ピン。ピン。ピン。
「何だ。何だよこれは」
 飯野の顔が次第に赤くなっていく。
 ピン。ピン。ピン。ピン。
「おい、街野。おまえの言っていたSNSアカウントってのはこれか?」
 街野の席へ駆け戻り、スマートフォンの画面をその目の前に突き出す。
 ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。
「あ、はい。これです」街野は淡々と頷いた。
 飯尾の細い目が大きく見開かれると、赤い顔に刻まれた模様のように見えた。
 ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。通知音は鳴り続けている。
「おい待て! うるさい! 煩いんだヨオア!」
 慌てているせいか、飯尾は通知設定を切ることも、ボリュームをオフにすることも思いつかないようだった。
 ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。
「やめろ、やめろ。何だこの書き込みは。何がセクハラ野郎だ。てめぇら、ふざけるなよ。訴訟してやるぞ。このバカが」
 だが、いくらスマートフォンに叫ぼうとも通知音は止まらない。
 ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。
「ちょっと待て。特定したって何だ? シノブニュースの飯尾って何だ。どういうことだよ。勝手に俺の名前を載せるなあッ!」
 そう叫ぶ飯尾の声は震えている。
 ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。ピン。
 通知音はますます激しく鳴り響き、やがて切れのないアラーム音に変わった。ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ。
「うるさい、うるさい、うるさい、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れええええっ!」
 飯尾はスマートフォンを地面に叩きつけ、高く持ち上げたオフィスチェアの足をその上に落とした。弾痕に似た傷が画面につき、細かく割れたガラスが本体からはみ出てぶら下がる。
 ようやく通知音が止まった。
「ふうう」飯尾はオフィスチェアに腰を下ろし、深い溜息をついた。
 ややあって。
「あのう、デスク」街野がそっと声をかける。
「なんだ?」
「さっきの記事が公開されました」
 そう言って街野は振り返り、壁際のモニターを指差した。
〝メディア関係者による常識外れの投稿に非難殺到‼〟
 たった今公開されたばかりのニュースには、すでに大量の「いいね」がつき始めていた。

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