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リーダー

illustrated by スミタ2024 @good_god_gold

 デスクに積まれたダンボール箱をうんざりした目で眺めながら、渡師はどさりと大きな音を立てて椅子に腰を下ろした。時計を見るとまもなく昼になろうとしている。朝から片づけを始めてようやくデスクとロッカーを空にしたが、まだまだやることは山積みだった。
 しばらくぼんやりしていた渡師は、やがて中腰になると、電源を落としたパソコンの裏側を覗き込み闇雲にケーブルを抜き始めた。ふと手を止めて顔を上げる。
「ネットのケーブルってどうするんだっけ?」
「それは向こうにあるので、線はそのまま残しておけばいいそうです」
 すぐに答えたのは部下の街野で、彼女が今回の作業を仕切っている。愛想はあまりよくないが、プロジェクトを仕切るのが上手いので課には欠かせない存在だった。どうやら手にしたファイルには細かな手順が書かれているらしい。こういうときには手際よく物事を進めるリーダーが必要なのだ。
「内線電話は?」
「それも同じです。電話機だけ持っていってください」
「わかった」
 それにしても無茶な話だよな。渡師はケーブルを抜き終えたパソコンと電話機を並べ置き、再び座り込んだ。
 週明けから部署ごと別の階へ移るようにと指示されたのが金曜の午後で、さすがにそれでは業者の手配が間に合わないとすぐに総務へ強く申し立てたのだが、総務部長は申しわけないが自分たちで何とかしてくれの一点張りで譲らず、しかたなく休日出勤できる者だけでなんとか引っ越しをしているのだ。
「課長、奥のロッカーも僕たちが運ぶんですか?」
 共用部のデスクを片づけていた比嘉が聞いた。隣でうなずいたのは比嘉と同期の伊福だ。
「たぶんそうだろ。そうだよな、街野?」 
「はい。ロッカーもデスクもです。大きな台車は借りてきていますから、それを使ってください」
「だってさ。俺たちで運ぶらしい」
 大きな声を比嘉に向ける。
「比嘉くんと伊福くん、ロッカーはまず業務エレベーターのところまで運んで」
 街野が言葉を重ねた。
「了解っす」
 比嘉は嬉しそうに答えた。運動部出身で体も大きな比嘉は、どうやらこの引っ越しを楽しんでいるらしい。捲り上げたジャージからは野太い腕が飛び出している。
「それにしても総務もひどいですよね。一人くらい手伝いを出してくれたらいいのに」
 ダンボールを運びながらポロリとこぼしたのは中堅の宅場だ。
「ああ、そうだった。総務から誰か若手を出すって言ってたんだ」
 渡師はポンと手を叩いた。
「本当ですか?」
「誰も来てないみたいですけど」
「あれ? もしかして」
 何かに気づいたように目を大きくした街野がファイルを置いて廊下へ出て行くと、すぐに若い男性を連れて戻ってきた。細い身体にやや大きめのスーツが余っている。
「彼、総務の人だそうです」
「あ、はい」
 恥ずかしそうに体をクネクネさせながら頭を下げた。
「ええっ? いつからいたのさ?」
「朝からです」
「この人、ずっと廊下でぼうっとしていて、何をしている人なんだろうって朝から思ってたんですよ」
 街野が呆れた口調で言った。
「どうして私たちに声をかけてくれなかったの?」
 宅場が非難するような口調で聞く。
「あ、はい。すみません」
 彼はクネクネしながら体を小さくして、ますます恥ずかしそうな顔になった。
「まあいいさ。とにかく人手が足りないんだから。来てくれただけありがたい」
 渡師は宅場を宥めると天豊に向き直った。
「で、名前は?」
「あ、はい。天豊です。総務の」
「天豊くんね。それじゃ、あっちの二人を手伝ってくれるかな」
 ロッカーを台車に乗せようとしている比嘉と伊福を指差す。
「はい」
 天豊はまたしてもクネクネとさせ、ほとんど聞き取れないほど小さな声で返事をした。

「何で入るんだよ」
 ふいに大きな声が部屋に広がった。伊福の声だ。
「入るんじゃなくて運ぶんだよ」
 比嘉の声が続く。
 比嘉の視線の先には扉の開かれたロッカーがあり、その中に天豊が入っていた。
「え、あ、はい」
 天豊はクネクネと体を曲げながらロッカーから出てくると、二人に向かって深々と頭を下げた。
 ファイルを持った街野が三人につかつかと近づく。
「ねえ、比嘉くん。天豊さんは状況がわかっていないから具体的に言ってあげて」
「あ、わかりました」
 街野に軽く頭を下げてから比嘉は
「オレがロッカーを後ろ側に傾けて上の部分を持つからさ、伊福と天豊くんは二人で底側を持ってくれよ」
 と二人に指示を出した。
「はいよ」
「じゃあ、行くぞ」
 比嘉はロッカーをゆっくりと後ろへ倒すと、先端部分を両手でしっかりと持った。金属製の重いロッカーだが、ふだんから鍛えている比嘉にとってはさほど重く感じないのだろう。平然とした顔のまま、二人にうなずきかけた。
 すばやく足元に回った伊福がロッカーの底部に手を掛ける。
「あれ? 天豊くん? どこだ?」
 伊福がキョロキョロと首を回した。
「ここです」
 隣のロッカーの扉がバタン開き、天豊が姿を現す。
「ちょっと待てよ。何でそこに入ってんだよ! このロッカーを持つんだよ!」
 伊福の声に慌てたように天豊はロッカーから飛び出すと、斜めに倒されたロッカーの足元へ回った。
「よし。持つぞ。せーの」
 ガランと金属の撓む音が響いてロッカーが持ち上がった。比嘉が先端を、底の部分を伊福が持っている。ゆっくりとロッカーが動き始めた。
「ん?」
 三人の様子を見ていた街野の眉がキュッと寄った。
 比嘉と伊福はロッカーと一緒にゆっくりと移動しているが、なぜか天豊はその場から動いていない。ただ体をクネクネさせているだけだ。
「あのう、天豊さん?」
「あ、はい」
「ロッカー、持ってないでしょ?」
「あ、はい」
 素直にうなずく。
「おーい、ちゃんと持ってくれよ」
 顔を真っ赤にした伊福が前を向いたまま、背後の天豊に向かって言った。
「あ、はい」
 あいかわらず体をくねらせながら、天豊は運搬中のロッカーに手を伸ばそうとした。
「ああっ」
 いきなり高い声を上げ、細い体をさらにクネクネとさせる。
「どうしたんだ?」
「誰かが引っ張って」
 隣のロッカーの角にスーツの裾が引っかかって、モモンガの飛膜のように広がっている。
「いいから早くここを持ってくれ」
 ギギーッ。鋭い音を立ててスーツが破れた。
「すみまひゃあっ」
 奇妙な声を上げた天豊は、素早く隣のロッカーの中へ逃げ込むとそのまま勢いよく扉を閉じた。ガシャン。金属の音が響き渡る。
「何やってんの!?」
「ちょっと待て、おい!」
「どうした?」
 いつのまにか近づいた渡師が街野に聞く。
「天豊さんが」
 そう言って扉の閉まったロッカーを指差した。
 その向こう側では比嘉と伊福が傾いたロッカーを持ったまま呆然としている。
「この中に?」
「入っちゃったんです」
 何を言っているのかわからない。渡師は困惑した顔つきで首を大きく左右に振った。
「ねえ、天豊さん、何してるの?」
 街野がロッカーを軽く手で叩くとブワワンと金属音が反響した。しばらく待つが返事はない。街野は振り返って首を傾げた。
「ふむ、じゃあ俺が」
 街野が一歩下がって場所を空け、代わりに渡師がロッカーに近づく。
 口をギュッと曲げた渡師が振り返ると、街野と宅場が強くうなずいた。ロッカーを運び終わった二人もその後ろから様子を眺めている。
 どうしてロッカーに入ったのかはわからないが、中で呼吸困難にでもなっていたらたいへんだ。
「とにかく開けよう」
 ロッカーのハンドルに手を掛けてぐいと引っ張る。が、硬くて開かなかった。
「むぐっ」
 もう一度力を入れるが、やはり開かない。
「オレがやります」
 比嘉が近づいた。
 渡師の横から体を差し込むようにして場所を入れ替えると、ロッカーの扉に太い腕を伸ばす。力を込めた腕がグッと膨らんだ。
「天豊くん、開けるぞ」
 グシャン。
 何かが壊れるような音がして扉が勢いよく開いた。
「あれえ?」
 中を覗き込んだ比嘉が素っ頓狂な声を上げた。その声に釣られたように全員がロッカーの中に視線をやる。何もなかった。ただの空っぽのロッカーだ。
 渡師はドキンと心臓が跳ねたような感覚を覚えた。何かがおかしい。起きてはいけないことが起きているような気がした。
「でも、さっきここに天豊さんが入ったんです」
「私も見ていました。だよね」
「ねー」
 街野と宅場がうなずき合う。
 渡師も見ていた。確かに天豊はこのロッカーの中へ逃げ込んだのだ。だがロッカーの中は空っぽだ。妙な不気味さがあった。
「いったいどういうことなの」
 街野が苛ついた声を出す。
「いや、まったくわけがわからないよな。人が消えちまうなんて」
「そうじゃありません」
 街野がキッときつい表情になった。
「朝から来ているのに何も言わずにぼうっと廊下に立っているし、ロッカーを運んでってお願いしても見ているだけで何もしない。で、今は」
 そう言ってロッカーの中を指差す。
「勝手にどこかへ行っちゃったんですよ。あの人、何しに来たんですか? ぜんぜん役に立ってないじゃないですか」
 どうやら人が消えたことよりも、自分が仕切っている作業が上手く回らないことのほうが気に入らないらしい。
 街野はファイルを開き、しばらく指で何かをなぞるような仕草をした。
「よし」
 力強く息を吐き、ロッカーの中へ顔をぐいと差し入れる。
「あのね。天豊さん、こっちも段取りがあるんだから、さっさと戻ってきて。頼みたいことが山積みなんだから」
 街野の声は空っぽのロッカーの中で響き、すぐに消えていった。
「とりあえず扉は閉めておくから」 
 そう言ってロッカーの戸を閉めた。そのまま全員を振り返る。
「とりあえず、今ここにいない人はあてにしないで、作業に戻って。二人はこれ以外のロッカーを運んで。課長はプロジェクターを外してください。はい、もう時間がありませんから。お昼までに大きなものだけでも運んじゃいますよ」
 街野は片手でパンとファイルを叩くと、さっさと自分の作業場へ戻っていった。
 次のプロジェクトも街野に任せよう。街野の後ろ姿を見ながら渡師はそう思った。

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