水気を取ると言えば古新聞

 子どものころ祖父母の家へ遊びに行くたびに、必ず朝食に出てきたおかずがあった。もやしとウインナーを薄焼き卵で包んだだけの簡単なレシピなのだけれども、僕はこれが大好きで、ほんの数滴ばかりの醤油をたらして食べるととても美味かった。
 このウインナーは最近よく見かける粗挽きだの歯ごたえだのを高らかに謳ったものではなく、細長くてピンク色をしているあれである。オレンジ色の薄いフィルムにつつまれていて、キュッと絞った端っこに金属の留め具がついているあれである。ただし魚肉ソーセージではなくポークウインナーでなければならない。しかも茹でたり焼いたりせず、フィルムを剥いたままの状態がベストである。
 どうでもいい話だが、僕はこのウインナーの端っこが好きだ。キュッと絞られた皺の部分が好きなのだ。ちなみにウインナーだけでなく、海苔巻きもフランスパンも端っこが好きである。ちょっと歪なところがいいのだ。
 さて、薄焼き卵である。
 ボウルに卵を割って塩をひとつまみ、ときには出汁を数滴加えてよく混ぜたあと茶漉しで漉す。大きめのフライパンに油を敷いて熱したら、さっきの卵を流し込んでグルグル回し、まんべんなく広がったところで火を止め、そのまましばらく放置する。蓋をすることもあればしないこともあるので、そのあたりは気分しだいなのだろう。放置しているとなんとなく薄焼き卵っぽくなっているので、端っこを指で摘まんでヒョイと持ち上げ裏返せば終わり。火は消したままである。
「ほんまは裏返さんでもええんやけどね、わたしは裏返すのが好きなんよ」と、たしか祖母は言っていたので、おそらく裏返さなくてもいいのだろう。
 一方、鍋ではもやしを茹でている。茹で上がったもやしをざるに空け、粗熱が抜けたら水気を取る。祖母が水気を取る方法は大胆で、古新聞の上にもやしをぶちまけるのである。ぶちまけた上にもう一枚新聞紙を載せて軽く押さえるのだ。そう言えば、ジャガイモを細く切って水で晒したあとも、わかめを塩抜きしたあとも古新聞の上にぶちまけていたから、祖母にとっては水気を取ると言えば古新聞なのである。
 巻き簀に薄焼き卵を置いて、その上に水気を取ったもやしを広げる。ちょうど海苔の上に酢飯を広げるような感覚だ。これが鉄火巻きなら酢飯の中央に細く切ったマグロを置くところだが、広がっているのはもやしである。もやしの中央にウインナーを置く。オレンジのフィルムを剥いたそのままを置く。あとは巻き簀でクルクルと丸めてやれば、ウインナーのもやし卵巻きが完成である。あとは二、三センチほどの長さに切れば良い。卵に出汁を入れたり、茹でたもやしに塩をふったりしたときはそのままでもいいが、醤油を数滴落としてやるとすこぶる美味くなる。
 別に上等な食材を使っているわけでもなく、ややこしい手間を掛けているわけでもない。それでも僕にとっては祖父母の家でしか食べられない特別なおかずだった。
 僕がそれを特別だと感じていたのはたぶん味だけが理由じゃなかったのだろう。いつもとは違う場所にいることが、そこで目にする壁の染みや天井から下がる蛍光灯や店に出入りするお客さんの姿が、そして祖父母とのんびりと過ごす時間の流れが、きっとあの単純な料理を特別なものだと感じさせてくれたのだ。
 せっかく思い出したのだから、あのウインナーともやしの卵巻きを久しぶりにつくってみようと思う。料理の正式な名前はわからない。けれども「祖母の薄焼き卵」で僕にはわかる。それでいい。

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