どのスタジオの?

 今回『ハリセンいっぽん』に収録した「私だけのスイッチ愛」なる小文。

 これは講談社の文芸誌『群像』から依頼されて書いた、本当になんてことのない短い文章なんだけど、これを掲載するのには一悶着あった。

 そのころ僕はまだ公共的な放送局に勤めていて、もちろん基本的に副業は禁止となっている。そうはいっても、講演会に呼ばれて話したり、番組内容を書籍化したり、取材の過程を本にまとめて出版したり、大学で教えたり、あるいは写真のコンテストに入賞して賞金をもらっていたり、そんな先輩たちはたくさんいるし、彼らに話を聞いたら「本、出しますよ」「大学で教えますよ」「受賞しました」と報告さえすれば特に問題にはならないらしいので、原稿料さえもらわなければ雑誌にエッセーを載せるくらいたいしたことじゃないだろうと思っていたら、これがたいしたことだったのである。

「雑誌から依頼があったのでエッセー書きました。来月号に載ります」
「ダメだ。うちは原則として副業禁止だ。エッセーなんかダメだ」
「え? 某放送系の雑誌にエッセーを載せている先輩もいますよね?」
「あれは職務と関係ない内容だからいいんだ」
「『中の人などいない』はかなり職務に関係ある内容でしたよ」
「あれは印税が局に入ったからいいんだ」
「じゃあ、今回も原稿料を局がもらえばいいですよね?」
「ダメだ。金の問題じゃない」
「……わかりました。出版社に連絡してダメだと伝えます」
「いや待て。職場が禁じたとは言うな。自分の都合で載せたくないと言いなさい」
「え? だって職場が禁じた……」
「ともかく、職場ではっきり禁じたわけじゃないから」
「えっ!?」
 といった紆余曲折を経た挙げ句、最終的には僕の直属の上司と、さらにその上司にあたる何とか長とかいう偉い人と、人事部が僕のエッセーを読んで、内容を確認することになったのである。

 たぶん僕は「あいつはルールを無視する問題児だぞ」と疎まれていて、だからこそあれこれ睨まれていたのだろうけれども、それにしても他の人たちとの扱いの差が大きいから困る。
 上にリンクを張ったためし読みを読んでもらえればわかるが、どんなスイッチを僕は好んでいるかという本当にどうでもいい内容で、確認するも何もない。いや、この文章でいったい何をどう確認するというのか。

 ところがである。
 数日後、僕を呼んだ上司が困った顔で言う。
「あのな、お前のエッセーなんだけどな、人事部がこれはいちおう技術局にもチェックしてもらわなきゃってダメだろうって話になって」
「技術局にですか?」
 そう答えた僕はたぶん相当怪訝な顔つきになっていたと思う。なぜ文芸誌に載せるエッセーを技術局が確認するのだろうか。
「そうしたら、あれは、どのスタジオのスイッチの話なのかと質問が来ているんだ」
「え?」
「特に最後に出てくる大きなスイッチの話がさ、あの手のスイッチは本来は技術の担当者しか触っちゃダメなやつじゃないのかと。勝手に主幹スイッチを触る気なのかと技術が怒ってるんだよ」
 こうなると、もはやびっくりを通り越して唖然とするほかない。本当に僕の書いた文章を読んだのだろうか。読んだ上でそう言っているのだろうか。まさかの展開に、僕は頭を抱えたのだった。
 どのスタジオの話でもないことを丁寧に説明し、最終的にはOKが出てエッセーは無事に掲載されたものの、自分がどれほど各方面から怪しまれているのかを、このとき僕はなんとなく肌で実感したのだった。

 それからしばらくして、同じく『群像』から小説を書いてみないかという話が来た。なにせ小説なんて書いたこともないから、書き上がるまでにはあれこれあったのだけれど、ともかく書き終えていよいよ掲載されることになった。そこで僕はふと考え込んでしまった。このちょっぴり奇妙な物語をまたしても上司や人事部や技術局がチェックするのか。小説の中で起きる出来事をいちいち説明しなければならないのか。バカバカしい。説明できるくらいなら最初から小説なんかにしない。どうしてもうまく説明できない記憶や体験や気持ちを、なんとか文字に落とし込んだのがこの物語なんだ。
 職場での話や仕事で見聞きしたことを書いているのならまだしも、完全に空想だけで創り上げた僕の世界に、見知らぬ他人が手を突っ込んでくるなんて嫌だ。
 もういいや。僕は開き直った。だったら黙って載せちゃえばいい。名前を変えれば僕が書いたってことは誰にもわからないだろう。適当なペンネームをつけてしまえばいい。職場の誰もがぜったいに僕とわからない名前を。
 そして、その日の夜、新宿の焼き肉屋で「浅生鴨」が誕生したのだった。

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