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割り込み

illustrated by スミタ2024 @good_god_gold

 深刻な雰囲気だった。店内に広がるコーヒーや焼き菓子の香りも、ゆったりとしたジャジーなBGMも、肌を刺すように張り詰めた気配を払拭することはできなかった。
「どうして言ってくれなかったの。おかげで間に合わなかったじゃない」
 さっきからずっと俯いていた女性は、そう言ってから手元に置かれたコースターに爪を立てた。コルクの表面が剥がれてくっきりとした痕が残った。
「だって何度も言っただろ。君だって知ってるはずだ」
「言ってたのは知ってるけど、もっとはっきり言ってくれないとわからないの」
 女性はさっと顔を上げた。テーブルの向かい側に座る男を睨み付ける目は、赤く腫れている。BGMではちょうどベースのソロが始まったところだった。
「そんなこと言われたってさ」
 男は困った顔で肩をすくめた。口をとがらせ面倒くさそうに溜息を吐く。
「このままじゃ、間に合わなくなるってもっと必死な口調で言ってくれていたら、ちゃんとできたのに。普通の口調で言うから、大変さが伝わってこなかったのよ」
「そんな。普通に言えばわかるだろう。いちいち大袈裟に言うなんて子どもじゃないんだからさ」
 彼は壁に貼られたポスターに視線をやった。ずいぶんと古いポスターで、知らないミュージシャンがアメリカ車のボンネットに寝そべったままギターを弾いていた。喫茶店にはあまり貼られていないタイプのポスターだなと彼は思った。
「それで、今になって急にもう間に合わないなんて言われても困るの。どうするのよ」
「こっちだって困っているさ。だって何度も言ったんだから」
 タン、タタン。スネアドラムが軽やかに鳴って、BGMはソロからテーマへ戻る。
「何? それじゃ、間に合わなかったのは私のせいだって言いたいの? 私だけが悪いって言うの?」
 女性の声が震えた。目に涙が浮かぶ。
「そんなことは言ってないだろ」
 男はウンザリした顔になった。
「はい、お待たせしました。コーヒー二つですね」
 ふいに声をかけられた二人は、思わず口論を止めて声の主に目をやった。二人のテーブルの横にこの店のマスターが立って笑っている。無駄のない動作でカチャリと音を立てながらテーブルにカップを二つ置き、ミルクピッチャーを置き、砂糖の入ったガラス壺を置いた。

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