コミットの結果
illustrated by スミタ2021 @good_god_gold
検査結果を見た医者から痩せるようにと厳しく言われ、それまで高を括っていた飯尾拓也も、さすがに今回ばかりはダイエットをしようと決意した。四十を過ぎてからどうも腹回りが重いことは気になっていたのだ。とはいっても例によって何事も長くは続かない飯尾である。自分だけでは三日も持たないだろうとあれこれ考えた末、近所にあるトレーニングジムへの入会を決めたのだった
やたらとムキムキになった芸能人の姿を広告に載せているジムで、一人ひとりに担当のトレーナーがつき、本格的なマシンを使ったトレーニングだけでなく毎日の食事の管理まで強制的に行われるのが特徴だ。
「私のような怠け者には、この、強制的ってのがいいんだよ」
パンフレットに目を落とした飯尾は思った。
自分一人では続けられなくとも、トレーナーの日時を予約していれば、いやでも行かざるを得ないだろう。それならばサボりようがない。
こうして飯尾のジム通いが始まった。
「まずは軽く馴らすだけにしましょう」
初日のトレーニングでそう言われたものの、それまで一切運動をしていなかったせいか、終わったあとはしばらく立ち上がることさえできなかった。しかも厳しく食事内容をチェックされるから、いい汗を掻いたのでビールを一杯なんてことも許されない。
「えらいところに入会してしまった」
飯尾は頭を抱えた。翌朝は筋肉痛で全身が痛み、ベッドから起き上がるのもやっとだった。それなのに午前中から次のトレーニングが待っている。入会した勢いで調子に乗ってつい予約してしまったのだ。
できれば今日のトレーニングは休みたいが、このジム、トレーナーだけでなく受付窓口の人もやたらめったらムキムキなのだ。もしも気軽に予約を変更しようものなら、どんな目に遭わされるかと考えただけでも恐ろしい。恐ろしくて電話ができない。
しかたなく、体を引きずるようにしてなんとかジムまで出向くと、トレーナーの丸古三千男が嬉しそうな顔で待っていた。
「どうですか? 痛みますか?」
「はい。もう全身が痛くて痛くて」
「ああ、それはよかった」
「よかった?」
「ええ。筋肉痛はご褒美ですから]
「そうですよ。痛みはマッスル神との遠い約束です」
隣のマシンで自分のトレーニングをしていた別のトレーナーが口を挟む。
「痛ければ痛いほど、ご褒美なのです。喜びが増すのです」
根本的に言っていることがおかしい。おかしいが、トレーニングと食事に関しての知識は並外れているし、とにかく体を鍛えることにはひたむきでマジメなのだ。
「あのう、こんな状態でもトレーニングをするのでしょうか?」
痛みを訴えれば少しは楽なメニューになるのではないか。飯尾はそう期待して上目遣いで丸古を見たが、その期待は一瞬で打ち消された。
「もちろんです。私たちはコミットしますからね。一切容赦はしません」
丸古は浅黒く日焼けした顔の中に真っ白な歯を見せた。
コミットする。それがこのジムのスローガンだ。彼らにとっては筋肉と健康が人生の最優先事項で、そのためならどんな努力も惜しまない。どこまでもコミットするのだ。
「えらいところに入会してしまった」
かなり高額な入会金と会費を一括で前払いしているから、どれほど辛くとも辞めるわけにはいかない。飯尾は再び頭を抱えた。
それでも数日おきに通っているうちに、しだいに体が慣れてきたのか、それほど激しい痛みに襲われることはなくなってきた。それどころか、体を動かすことがだんだん楽しくなってくる。
「今日でちょうど十日目ですから、一度計測してみましょうか」
トレーニングの開始前に、丸古は巨大なジムの隅に置かれた体重計を指差した。体重だけでなく筋肉量だの基礎代謝だのと、いろいろな数値が出てくる体重計で、同じようなものは自宅にもあるが飯尾にはそれが何を示しているのかよくわからない。体重と体脂肪率くらいを見ていればそれでいいだろうと思っている。
「おお、すばっらしい」
丸古が大声を上げると、別のトレーナーたちがひょいとこちらに顔を向け、次の言葉を待った。
「飯尾さん、十日間で四キロ減です」
「おおお!」
「すばっらしい!」
「その調子で行きましょう!」
他のトレーナーたちからも一斉に声が上がった。トレーニングをしている他の会員たちの間からはパチパチと拍手の音が聞こえてくる。
飯尾としても悪い気はしなかった。なるほど、こうやって褒めて伸ばす方式なんだなと心の中で呟く。
「ははは。この調子でいけば二十日で八キロですか。百日だったら四十キロも減量できますね」
このマジメなトレーナーたちに通じるかどうかはわからないが、飯尾はとりあえず冗談を口にした。もちろん四十キロも減量したらムキムキどころかヒョロヒョロになる。
「ええ」
丸古はクスリと笑うこともなく、ただ大きくうなずいた。
飯尾は思わず噴き出しそうになった。いくらなんでもマジメにもほどがあるだろう。少しばかり体重の減った気分の良さもあって、飯尾はさらに冗談を重ねた。
「はははは。じゃあ、一年も経ったらマイナスになっちゃいますね」
「ええ、そうです」
丸古は大きく頷いた。
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