消える理由
書類の上にボールペンをそっと置き、治夫は両肩をぐるりと回した。凝り固まっていた首筋がバキと音を立てる。朝からずっと細かい文字を見続けていたせいか、目も霞んでいる。
「ちょっと休憩するわ。さすがに疲れた」
首を左右に曲げ伸ばしてから同僚にそう声をかけて、椅子から立ち上がった。
「あてて」
足の裏に鈍い痛みを感じた治夫は思わず声を出し、再び椅子に座り込んだ。
「どうした?」
同僚が怪訝な表情で顔を向ける。
「大丈夫だ。何か踏んだらしい」
靴の中に石の粒でも入っていたのだろう。治夫は軽く手を振って同僚に答えると、座ったまま靴を脱いで逆さに振ってみた。が、何もない。
「さては、こっちか」
靴下の裏に手のひらを当てると指先が硬い何かに触れた。思った通りだった。どうやら靴下の中に何かが入り込んでいるらしい。
淡々とした表情で靴下を脱いで裏返しにすると何かが落ちた。
カツン、カツン、カツ、カツ。
白いプラスチック製の小さな玉が床から机の下へ転がっていく。
玉を目で追いながら治夫はへへと苦笑いをした。どこで入るのかわからないが、靴や靴下にはよくわからないものが、いつのまにか入っている。
裏返しになった靴下を元に戻して履き直し、靴に足を入れた。
「あててて」
こんどは立ち上がる前に痛みを感じた。
またしても何かを踏んだらしい。治夫は慌てて靴を脱ぎ、中をあらためた。さっきと同じ小さな白い玉が入っている。指先でひょいと摘まみ上げて机の上に置くと、玉はコロコロと机の上を転がり、書類の束にぶつかって止まった。
手芸で使う小さなビーズのように思えるが、そのあたりの知識はないので、実際のところはよくわからない。
ともかく。
もう一度靴を履こうと足元に目をやったところで、治夫の表情が固まった。
緑色の服を着た身長二センチほどの小人が、靴の履き口へ身を乗り出すようにして、中へ白い玉を入れようとしているのだ。
「おい、何してるんだ」
真上から覗き込んで威圧するような声を出すと小人は身体をビクッと震わせて動きを止めた。恐る恐る治夫を見上げる。
「何してるんだ?」
「あ、いや、別に何も」
小人は履き口から身体をすっと離すと、手にしていた玉を背中へ隠した。
「今、その玉を俺の靴に入れようとしただろ?」
「何のことかわかりませんね」
小人は大袈裟に首を振った。長く伸ばした髭の先がぷるぷると揺れる。
「ごまかすな。今、入れようとしていたじゃないか」
「さあ」
「靴下に玉を入れたのもお前だな」
「はてさて、何のことやら」
小人は治夫を小馬鹿にするような口調でしらばくれている。
治夫はいきなり手を伸ばして小人を掴んだ。
「うわ、何をするんですか」
机の上へ乱暴に小人を置く。近くで見ると、妙に尖った靴先がぐるりと渦を巻いているのがわかった。
「ほら、これを見ろ」
書類のそばに転がっている玉を指差す。
「は? それが何だって言うんですか。私と何か関係が?」
そう言って小人は肩をすくめる。相変わらず鼻持ちならない言い方に治夫は苛立った。
ようし。これを指で思い切り弾いて小人にぶつけてやる。そう思って玉へ指を伸ばそうとしたところで、ふと、靴を履いているほうの足に妙な感触を覚えた。
身体を曲げて足元へ目をやった治夫は大きな声を出した。
「なんだお前は!」
いつのまに現れたのか、もう一人の小人が治夫の足と靴の隙間から、例の白い玉を中へ入れようとしているのだ。こちらの小人は赤い服を着ている。
「何なんだ。なんでお前たちは俺の靴に玉を入れるんだ!」
「は?」
赤い服の小人が平然とした顔で治夫を見上げた。
「何の話です?」
どうやらこの小人もしらを切るつもりらしい。
まったくどいつもこいつも。何がしたいのかさっぱりわからない。
呆れ返った治夫はうんざりしたように机の上を見た。
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