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『哲学あそび』#1

2023年9月17日に『哲学あそび』というイベントを開催した。
会場としてお借りしたお寺は、商店街に面した身近な立地で、且つ穏やかな日当たりと静けさがある環境だ。畳の香りも落ち着く。
 
asobinotuduki風の哲学的な座談会をしてみようと思った。
それで『哲学あそび』という名称にした。(語弊があると嫌なので念のためお伝えしておくと、そこに哲学を蔑ろにするという意図は一切含まれない。『あそび』も私にとって重要な主題なのだ。)

――下記に当日使用したイベント内容の用紙より一部掲載する。

【はじめに】
哲学あそびは、テーマについて唯一の結論を出そうとするものではありません。いつもより深めに自分に潜ったり、自分以外の様々な思考や感覚にふれたりして、そうする前の自分(また、自分と他者との関係)から、ほんの少し変化しようとする試みです。

【今回の流れ】
テーマの共有(『居場所』)

各自テーマについての連想&記入タイム(最初は10~15分ほど)
・連想したことを付箋に書きます。
・付箋は、ポジティブサイド( 黄 )とネガティブサイド( 薄青 )で使い分けます。
・ボードに貼ります。
↓↑
付箋の言葉や内容について共有タイム
・書いた付箋の言葉について話したり、
・貼ってある付箋の言葉について質問したり、
・テーマや話から更に連想したことを付箋に書いてボードに追加したり、
などなど色々と脱線しながら、一緒に楽しみたいと思います。

感想タイム
・最後に今回の感想を教えてください。

2023.09.17 哲学あそび

――というものだった。

今回のnoteに共に掲載した画像は、この時の実際のボードだ。
途中入退場自由という形で進めるため、今回は連想と共有をメインとし、深堀りすることには重きを置かないで、問いを立てたり事例をたくさん出すようなブレインストーミング的な内容とした。
 
話が少し逸れるが、哲学をするにあたって、私としては自由でいたい。
もちろん、
問いを立て→多面的に見て→分類して→類似性を探して→答えを出す
みたいに、ある種の順序立てて深掘りしていく形も好きだ。
今回のように問いや意見をどんどん出すような形も、分類や類似性を探ることに重きを置くような形も好きだ。
異なる順序や形でするのも面白いし、何かの形に則っていなくとも、
ある感覚から思考が始まったり開けたりするのも楽しい。
こういう漠然とした哲学もあっていいと思う。なんなら皆、意識せずともしていることだとも思う。
だからこそ、縛られたくない。
ここに書いた方法のどれでも、これ以外でも、色々試してみたい。
私(/誰か)が、周りと生きる私(/誰か)の世界で、どんなことに気づくのか。
 
話を戻します。
今回の『哲学あそび』の中で、印象的だったことを幾つか。
・黄色の付箋(ポジティブサイド)の「トイレ」。書いてくれた人によると、これは単に場所を指すのではないとのこと。トイレや喫煙などで一度その場を離れて、またその場に戻ってきた時に、場を一歩外から見ることができて、それがなんか良いということだった。確かに。いいですよね、なんか(うきうき)。うん。
・薄青の付箋(ネガティブサイド)の「社交場」。書いてくれた人とは別の人が、「それ私は黄色(ポジティブサイド)ですね~」と所感をくれた。連想する状況は似ていても、その印象は受け手によって大きく違う。その後に「なぜか?」という話に自然となっていって、その流れ自体に受容を感じて嬉しかった。
・最近まで「居場所」という言葉自体を意識していなかった、と話してくれた人たちもいた。メディアや身近な環境を通じて意識しだしたとのこと。「初めて居場所だと思ったのは?」との質問に「(あったのかもしれないけど、)過去に居場所を意識したことがないから、○○かなぁ」と最近関わっている場所を挙げてくれた。
 
下記には、頂いた感想の一部を。
・(知り合いが多く)身近な人との話であったが、自分とは違う意見もたくさんあった。多面的に見れるのは良いこと。
・ナゾが深まった。
・「居場所」という言葉自体に疑問を持っている。落ち着いて話せる場があるは良いこと。
・「居場所」とは自分で求めるものなのかもしれない。諸行無常だということを頭に置いておくべきかも。
・最近まで「居場所」ということを意識したことはなかった。
など。
色々と思ってもらえてありがたい。
私としては、テーマや形をなどを変えながら、また開催したいと思った。
 
お越しいただいた皆様、ご協力いただいた皆様、気にかけていただいた皆様、ありがとうございました。
また遊びましょう。


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