太川るい

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【断片/2024.08.10】

 ここにも、書いてゆく。どんどん書いてゆく。自分はこのことを楽しく思う。自分がどこに何を書いたか分からぬほどに書くこと。そのことを、自分は望んでいる。そうなれば自分は純粋な一読者になれるからだ。書いたことを忘れて自分の書いた文をふたたび読み直すことは楽しいことである。今はまだある程度把握ができているが、これが把握の外に出る日がいつか来ることを、自分は望んでいる。  あるいはそれは、面倒を引き起こすことになるかもしれない。何か参照したいときに、目当ての文が見つけられぬこと。そ

    • 樽回し【短編小説/1200字】

       ディオゲネスはいつものように樽の中で眠りこけていた。日はすでに高くのぼり、あたりは活気に満ちている。考えているとき、眠るとき、この二つの時間のほかこの浮浪の哲人がどう生活しているかは誰も知らなかった。誰も気に留めなかったのである。ディオゲネスはのんきに日々を過ごしていた。時には贋金造りに心血を注ぎ、牢の中に放り込まれることもあったが、この日の彼は気持ち良さそうに眠るばかりであった。  すると、いつのまにやら樽の出口がふさがれ、樽はディオゲネスを入れたまま運び出された。が、

      • 虎狩【短編小説/3500字】

         うだるような夏の、真夜中のことである。森の中ではときおり鳥のはばたく音がどこからともなく響き、空気は熱されてゆらめいている。昼間動いていた獣たちはその身を寝床に横たえ、明日の力をたくわえようとしていた。あたりの空気はじっとりとした水分を含んでおり、動かなくとも重苦しい熱帯の暑さを感じさせる。辺りは静かだったが、暑さ自身が熱を持って夜を振動させていた。  そんな森の中を一匹の獣が横切っていった。その獣が踏み、体を当てて通る草や木の音は一様にその獣の体躯の大きいこととしなやか

        • 蝸牛【短編小説/1600字】

           その蝸牛は、自分の生まれた時のことをよく覚えていない。いつともなしに、木の上で暮らしていた。背中の殻はいつ背負ったものであろうか。それもまたこの蝸牛にとっては茫漠たる記憶の彼方の出来事であった。自己を自己とする自覚。それが芽生えた時には殻は蝸牛の分かちがたい一部としてその地位を確立していた。ある時はその中で眠り、ある時は背に乗せながら歩く。殻は薄い褐色に縦縞を浮かべ、軽快な旅の道づれとしてその役割を果たしていた。  蝸牛にとっての小さな棲処を殻とするならば、その大きな棲処

        【断片/2024.08.10】

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