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コロナにまみれた5月が終わる。

昨夜Facebookに投稿した、こちら。

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これを投稿したときは、目標を…!という話で終わりましたが、冒頭に書いているなんでこんなにイライラするんだろう、という話。運転しながら考えた。

ちょうど1年ほど前に商店街にオープンした小さなカフェ「すみとカフェ」。
わたしは、カフェがしたかったわけでも、美味しいものがつくれるわけでもない。

わたしがこんなにもイライラしているのは、自分がカフェをはじめた理由を、続けられる理由を、脅かされているような、感覚があったから。


コロナ感染症対策として、GWから始めたのは店内入店禁止、外でのやり取り完全テイクアウト。
入口の扉にはビニールをはり、声も届きづらい。ドリンクを入れたり、お手渡しをするまでの、それはほんの少しの時間なんだけど、その時間のお客さんとの会話も成立しない。

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はじめて言葉を交わしたお客さんと、「あ、なんかもう少し話したい…!」と思ったら、いつもなら「よかったらちょっとかけて」と座ってもらったり。ゆっくり過ごすことができた。
店内に置いているパンフレットや本を手に取ってもらったり。待ち時間に店内で一呼吸してもらったり。

そういう対面の、そしてちょっと関係性が広がるような大事な入口をつくるための余白が、完全に奪われた気がして。
それにもうなんかずーーーっとイライラしてる。だからこの5月がとにかく長く感じられた。

テイクアウトは正直にいえば楽だった。基本1人なので、お客さんとのやり取りが終われば、誰もいない空間にいることになる。いない分、普段できないお店のことを考える時間も作りやすかったし、作業もしやすかった。
洗い物も減ったし、店内のゴミは減る。とはいえテイクアウトが増えている分、外に出ているごみの量は間違いなく増えてる。

この期間で発見はあったものの、この体制のままでは本来わたしがこのカフェでやりたいことをカタチにできない。その風景をつくれない。
カフェをやる理由、モチベーションを奪われかねない。

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カフェを始める前、わたしの周りで頑張る人たちからよく耳にしていた「人が集える"場(空間)"をつくりたい」「人との交流が活性化されるようなゲストハウスをつくりたい」といった声。
素敵だなあと思う反面、なぜそんなに"場"をつくりたいと思うのだろう?と考える自分がいた。
でもいざ自分が始めてみると、自分の判断や考え方で運用できる場があることの価値や可能性に感動している。
本当に、この一歩を踏み出すことができてよかったと心から思っている。

だから余計イライラする。
でも…そんなのはみんなそうだ。だから今は我慢するときだし、知恵を絞りながら乗り越えるとき。

このブログは、1か月静かにわたしの胸を、ちくちくしてくる、これを、吐き出したくて書いた。
赤ちゃんからおじいちゃんおばあちゃん、幅広い方々が寄ってくださるカフェだから、店として感染症対策に気を付けるのは当然のこと。それを真正面から言われたときに泣きたくなる自分もいた。そんなことも理解できない自分なのか、と。それを受け止められずして、わたしは店を続けられるのかと。結局悔しすぎて泣いた。

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いろいろ書いたけど、頭のなかではわかってる。ただ心から受け止めきれなかっただけ。

だから、この1か月を糧にするんだ。これからの在り方を考える。それだけ。

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