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死ななかった完璧主義者の話

『自分が完璧主義者なら、もうとっくに死んでるよ』────「完璧主義者」ってどういう人? という話を十割主観で書きながら思い至ったことについて

自覚の芽生え

 完璧主義者。
 そういう単語に対する印象は人の数だけあると思いますが、「貴方は完璧主義者だけれども」と面と向かって言われたことがある人は比較的少ないと思います。分からん。この記事は十割主観で出来ています。
 何故そんな話をし始めたのかというと、自分がそう言われたからです。もう何年も前になりますが、その時自分は卒論的なサムシングの進捗確認を担当の先生としてました。
 で、この時。自分の卒論的なサムシングの進捗は非常に悪かった。
 理由を説明し出すと面倒なので割愛しますが、その点について担当の先生に説明してました。で、その流れで言われたのが冒頭の台詞。要するに「貴方は完璧主義者だから進捗が遅れがちだけど、枠組みだけでも作っとかないとやばいぞ」的なサムシング。そんなアドバイスに対して、自分が真っ先に思ったのはこれでした。

『自分が完璧主義者なら、もうとっくに首吊って死んでるよ』

「妥協をしないと追いつかない」的な意識

 >>>突然のシリアス<<<みたいな感じになってしまったんですが実際は「あっはっはありえねー」みたいな感じで笑って否定していたのでそんなにシリアスではないです、ご安心を。取り敢えずどうしてそう思ったのか説明します。
 卒論的なサムシングを書く前後、筆者は色々と大きな変化の過渡期にいました。ちなみにネガティブなものではないです。ただ大きな変化なのは間違いない。
 で、その過渡期の前後で何が変わったか。主に勉強的な意味で、これまで『自分にとって許せるレベルの結果』が出せなくなっていました。
 じゃあその過渡期前は許せるレベルの結果が出せてたの? って話なんですがこれが出せてました。「AじゃなくてA-を取るくらいならFの方がマシだからめちゃくちゃ課題を確認する」とか「98点を取るくらいなら0点の方がいいからすげえ勉強する」とか。自覚、そして実感したのは割と最近なんですが、筆者は勉強が得意か苦手かで言うと得意な方で、好きか嫌いかで言うなら好きな方でした。今振り返ると、そりゃあ完璧主義者って言われるなあと生暖かい目になります。
 けれど大きな変化の結果、そういう『自分にとって許せるレベルの結果』が出せなくなった。ただそこには百人が見ても「いやそれはそうなるでしょ‥‥‥」的な明確な理由である大きな変化があったので、己を責めるような事態にはなりません。
 代わりに『妥協すること』を意識することになりました。『もっとここ見直したいけどここで妥協しないと提出出来ない』とか、『テストが満点じゃないけど今の自分のあれこれ的にここで妥協しないと無理』みたいな。
 妥協した、妥協した、妥協した後にまた妥協した。
 そういう意識の積み重ねの後に来たのが担当の先生の「あなたは完璧主義者だけれども」であり、「いやいやそんなはずがない、完璧主義者ならこの妥協の積み重ねを許容出来るはずがないでしょう、首吊って死んでますよ(笑)」だったわけです。
 で、そう笑った直後に「‥‥‥いやもしかして、これがつまり完璧主義者ということ‥‥‥?」と気がつきました。

無自覚ハードルのやべえ奴

 ギャグのようなホントの話ですが、それまで自分は完璧主義者とは対極の、むしろズボラなタイプだと思ってたんですよね。理由は簡単、「自分は本来こうするべきなのに、それをサボって楽をして、結果に妥協している」という意識があったからです。実際、特定の内容以外で筆者はとても雑です。料理のレシピを読んでもレシピ通りに料理が作れた試しがないとか。
 いや書いてて気がついたけど、別にレシピ通りに作れなくても、ちゃんと美味しく食べれる物は出来てるんだから、雑でも妥協でもなんでもないのでは? むしろ天才なのでは?
 ‥‥‥とまあ、このように「無自覚に物事のハードルを上げている」のが「完璧主義者」です。多分。改めて書かねえと気がつかない無自覚さ。多分良い方向に働くことも多々あると思います。実際、筆者は自分の完璧主義者的な性質が役に立った、と思うことはそこそこあります。
 ただ、無自覚であることは、この上なく厄介なことにもなりかねないなあ、とも思うのです。
 何が厄介なのかといえばこれ、「まあ妥協してるけど仕方ない」とある程度許せる間はいいですが、それが許せなくなってくると自分を批判します。取り敢えずこの時点でメンタル的に非常によろしくないのですが、加えて。
 場合によっては、他人を批判し始めます。
 思い当たる節がいくつかあって胃が痛くなってきましたが、問題はこれだけではありません。この無自覚ハードル、自分にだけ課している間はいいですが、これを他人にも課すようになったらただのやべえ奴です。何せ側から見れば奇妙なまでにハードルをぶち上げ、妙な部分にまでこだわり、俺ルールを強制してくる人間。どうみてもやべえ。
 ただ最近、そういう「やべえ奴」というか、他人に対するハードルが奇妙なまでにぶち上がってる人間を結構見るような気がします。
 今自分はこれを十割主観で書いているので実際にそうかは知りません。ただそういう人たちは、誰より何より「自分がそうしなきゃいけない」と自分でハードルを上げているんだろうなあ、とこれを書きながら思い至った、というだけの話です。
 
 
 
 

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