思い出とケンカした武藤敬司

一人の天才レスラーが引退した。
その男の名は武藤敬司。
自身の試合を「作品」と呼ぶ格闘芸術家。
かつてゴールのないマラソンといったプロレスに別れを告げる。

その最後の作品は一体なんだったのか。
私は思い出とのケンカマッチと位置付けた。

「思い出とケンカしても勝てねぇんだよ」
かつて武藤はそういった。
それは、自分以前の猪木馬場時代、鶴藤長天時代。テレビがゴールデンタイムで流れていた時代。そこと闘ってもしょうがない。
ただでさえ人間は過去を美化してしまう。
嫌な記憶でさえ、時間が経つことでよい思い出に変化させてしまうある意味で幸せな生物である。
大事なのは、今、現在なんだ。そんな主張をする武藤は60歳になるまで、今を生き続けた。

それは、引退試合の相手からもうかがえる。
現在のトップレスラー内藤哲也。そしてそれは自分が去った後のプロレス界も見据えたカードだった。

一方で私は感じた。
38年ものキャリアを重ねるうえで武藤自身に”思い出”ができてしまった。
ムーンサルトを魅せるヤングライオン時代。
UWF勢に自らのプロレス観を貫いたスペースローンウルフ時代。
アメリカマットを席巻したブラックニンジャ、グレートムタ時代。
NKホールに凱旋、バク進を続けてきた90年代のセクシーターザン時代。
髪を丸め、闘いの舞台を”王道”へと移した社長時代。
我々ファンの武藤アルバムのスクラップは数えきれない。

いっそのこと、思い出と仲良くした方が楽なはずだ。
しかし、武藤は今を、今の自分で最高の作品を作ることしか考えていない。
いわば、武藤敬司自身との闘い。”思い出となった武藤”とのタイマン。それが今回の引退試合だ。

試合前日会見でもムタラストマッチで負ったモモ裏、ハムストリングスの肉離れについて、「もうだめだ、と諦めそうになる自分がいる。最後にして最大の敵は自分自身だ。」と語った。
そうか、引退試合の相手が直前まで発表されなかったのも「俺だけを観ろ!」というメッセージだったのだ。
武藤には武藤しか見えていない。
武藤対武藤。
最高のエゴイストがそこにはいた。


そして試合。
入場では、歴代の入場テーマが流れる中、最後はHOLD OUTで入場。
会場から割れんばかりの武藤コール。
これほど入場テーマを変えたレスラーを私は知らない。
過去に固執しない武藤らしさをこんなところからも感じた。

私が、試合で注目した点。
まず、三銃士三沢ムーヴ。
蝶野のSTF、三沢のエメラルドフロウジョン、橋本の袈裟斬りチョップ、DDT。
戦前から予想できたムーヴだったが、実際にみてすごいと感じたのが
あえてその技をブサイクにやっていたところだ。
天才と呼ばれ、運動神経の高い武藤にとってその技をやることなど簡単のはずだ。しかしそこを不格好にやることで、オリジナルに対するリスペクトを感じた。
引退できてない盟友たちの思いを乗せて武藤は戦った。

そして極めつけはムーンサルト。
最後に武藤は飛ぶのか。飛ばないのか。
観客の最大の関心事でもあった。

結果的に武藤は飛ばなかった。
しかし、最高のムーンサルトを魅せた。

バックブリーカーで内藤をリング中央で寝かせた武藤。
これはムーンサルトへの布石、モノローグと誰もが思った。
リングを背にトップロープを奪う武藤。

飛んでくれ、最後に華麗な月面水爆を見せてくれ!、
いや飛んでくれるな、明日からの日常生活、セカンドライフはどうするんだ!
そんな矛盾したファン心理が交錯する。

武藤自身もそうだ。飛ぶのか、飛ばないのか。飛べるのか、飛べないのか。
この時、内藤など眼中にない。
自分自身との闘い。まさに武藤対武藤。
東京ドームの大観衆の視線も武藤だけに注がれた。

現在進行形のムーンサルト。
技を見せずして、魅せる武藤。
それは、思い出を超えて思い出に勝った瞬間でもあった。

試合は内藤のデスティーノで3カウント。
試合そのものは内藤も存在感を出した二人の良い作品だと感じた。
内藤目線でもこの試合を見ていた私は安堵した。

しかし、自らロープを分け、内藤をリングから下ろしてから、
マイクを持った武藤は「まだ灰になっちゃいない」と解説席にいた盟友・蝶野正洋に”対戦要求”。
この大舞台でそんなことをいわれてノーと言えるわけがない。
リングサイドにいたタイガー服部をレフェリーに
もうひとつの引退試合が始まった―。

自分の思った通りに動かなければ気が済まないエゴイズム。
良いところは全部持っていくナルシシズム。
それが武藤イズムだ。
また、このエゴイズムを蝶野は幼稚園児と表現した。
試合途中、頬をすりむいた武藤。
その表情はほっぺを赤くしたやんちゃ坊主にも見えた。
憎めない幼稚園児、最高のエゴイスト、惚れ惚れするナルシスト。
それが武藤敬司なのかもしれない。

プロレスを愛した武藤を、我々は愛した。
ありがとう、武藤敬司!ありがとう、プロレスLOVE!!



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