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明けまして、2022(LOOKBACK2021)

正月気分は終わっているのに気合が入らずただダラダラした日々を送っている冬休み終盤である。あけましておめでとうございます。すごく気合をいれているわけではないけれど、なんとなく抱負めいたものを作ればスタートが切れるだろうか…という気分なので、今年やりたいことを言語化してみようと思う。

その前に、まずは昨年の振り返り。
2021年という年は、「終わりと始まり」の年だったと言える。もはや上半期の記憶がないが、9月~10月にあった「恋人との別れ」「実家からの引っ越し」という大きな環境の変化がかなり自分にとってのエポックメーキングな出来事だった。

2020年末に仕事がストレスすぎてメンタルが絶不調になり、どうしようもなくなって精神科に駆け込んだ。あの頃はいつも不安だったような気がする。いつも冷たくて大きい塊が片隅にいて、じわじわと体力を奪っていたと思う。そういえば先日転職活動を本腰いれてやるか、と思ったときに昨年は「これ以上の地獄はないと思いたいが、もし違うところに行っても同じような地獄があるに違いない」と思っていたことを思い出した。DV被害者と同じ思想をしていて(家に帰ったら殴られるけれど、家に帰らなかったらもっと殴られるから今帰ったほうがマシ、みたいな)狂っていたなと思う。もう思い出せないけれど、きっともっと狂っていたことはあったんだろうと思う。
3月にヘビーな案件があって、それが終わったころにようやく「よかった、元気そうになって。心配していたんだよ」とちらほら言われるようになった。ぱっと見でやばすぎると周囲も声をかけにくいんだなとしみじみ思った。鍵アカのTwitterを見返していたら、このころまでぽつぽつと「死にたい」と投稿していて、本気で死にたいわけではなかったけれど、このころの私はすべてをなげうってみんなの前から消えてしまいたいと思っていたんだった、と思い出した。やっぱり狂っていたな。

4月に、中途採用の人がチームに入って、なぜか上はノータッチで全部わたしに振ってきた。6月にクライアントの担当者が産休に入り、新しい担当者と入れ替わったが、ほとんど引き継がれておらず二人三脚で泥の中を走るみたいな仕事の仕方をした。自分が成長したという実感もあった一方で、視座が変わって「なんでこんなに上司は動いてくれないんだろう」という思考になったと思う。たぶん、3月までのしんどかった時期で「できない自分を責める」というムーブを解除できるくらいの自信がついて、代わりに上司たちの放置プレイに気づいたのだと思う。仕事は、五輪にあやかってなんかやりたい!みたいな唐突な差し込み業務が発生したり、クライアントと認識の齟齬があって再々々々提案!みたいな地獄が発生していたけれど、3月までのように「私がわるい」「私がもっと出来るようにならないと」みたいなのはなかったと思う。中途の人とずぶずぶでこれは上司が悪いよね~みたいな話をできていたからだと思う。
でもなんだかんだ疲れてはいたようで、Twitterを見返したら観劇中にめっちゃ爆睡して反省していた。これも異常だなと思う。あと冬もそうだったけどこのころマッサージ屋に定期的に通っていて、自分でどうしようもないくらい凝っていたのも、今振り返るとやばい。
あと、4月にDMMの100冊70パーオフがあって、友達とアカウントをシェアしながらたくさん漫画を読むようになった。ほこりをかぶっていたkindleも鞄の中に突っ込まれるようになり、紙の本にこだわらずに本を読むようになった。

秋ごろまではそんな感じでたまにクライアントの地雷を踏み抜き、上司となんかうまくいかないな~みたいな感じで過ごしていた。
秋に中途の人が、弊チームおなじみのぶん投げプレイをもろに受けて仕事中に号泣して、上司がいかに頼りにならないかを実感するとともに、去年の私は私が弱かったせいじゃないことを確信した。3月に社外のアワードにだそうみたいな話も動いて、1mmも考える気がない上司と言い争った結果、わたしが彼らを理解する必要はびた一文もなく、同時に彼らを説得する余白もまったくないことに気づいた。人事には、今年度いっぱいで異動にならないとまじで無理です、ということを伝えた。
なんだかんだ不満が溜まっていた恋人との交際も9月に破綻した。しかし彼氏と別れ、実家を出てシェアハウスに入居し、上司を諦められるようになり、母と物理的な距離を置いたことで、すこしだけ私の足元の地盤は安定した。

こうやって振り返ると2021年、ヘビーだったな…。よく頑張ったんだなあ、偉かったな。追いかけるばっかりじゃなくて、こうやってたまにはねぎらってあげないと燃え尽きちゃうね。
2022年の抱負は次回に続く。

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