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推し事の振り返り
はじめに
はじめましての方ははじめまして。
私は競馬場で水沼元輝君のオタクをやっている33歳のおじさんです。
2021年のダービーから競馬にハマり、なんとなく競馬場の"いろは"もわかりはじめてきた頃、新人ジョッキーのデビューに立ち会い、そこから推しが出来たという流れでした。
そんな2022年、どんな1年だったのかを嬉しかったことも辛かった事も含めて振り返っていこうと思います。
また、本noteは競馬歴2年目の初心者の視点で語られます。
競馬に長く関わっている方からすれば言葉選びや物事の背景等で違うと感じる部分もあるかも知れません。それでも、これは現時点での自分が見て感じた事をアウトプットしたものですので、烏滸がましいようで恐縮ですが暖かい目で見ていただけると幸いです。
なお、SNSのアカウントでは発信を控えてきたこれまでの実際飛び交った暴言が記憶の限り綴られます。
その点何卒ご理解とご了承のほど、よろしくお願いいたします。
新人ジョッキーの挨拶
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あれは2022年3月5日。
新人ジョッキー紹介の日のこと。
ちょうど昼休みくらいでお昼を食べようと立ち上がったところ、中山のウィナで新人ジョッキーの紹介式が始まり、スマシの通路でぼうっと眺めていた。
当時はまだ競馬をちゃんと見始めて半年といったところで、新人ジョッキーに対する解像度というか、これから彼らがどんなハードルを乗り越えていくのかなんてものも何も理解できておらず、ただ「新人さんか、頑張れよ~」くらいの気持ちで見ていた。
そんな時、水沼君の挨拶の順番が回ってきて彼はこう言うのだ。
「今日は騎乗がないので、新人騎手紹介のためだけに競馬場に来ました。」
と。
中山に集まっていたお客さんからドッと笑いの声が溢れた。100人前後は集まっていただろうか?齢19歳にして客席を前に冗談を言う肝の据わり具合に「おおっ」と思った。
最初の印象はそれくらいのものだった。
その台詞が今覚えば辛いものでもあったのだが。
バイハリウッドへの騎乗
2022年3月20日。中山競馬場6R。
あの日が訪れる。
この日、水沼君はバイハリウッドへの騎乗だった。
馬場入場後、暴れる馬を制御できず暴走させてしまう。向こう正面で見えなくなった後放馬させてしまい、再びバイハリウッドの姿が見えた時には見るに堪えない状態となっていた。
座席の近くから「なにやってんだよ馬鹿野郎!」「競馬学校卒業するの早かったんじゃない?」という怒りの声が聞こえてきた。
私は「鞍上誰だったんだろう」とその時気になり、調べてようやく気が付くのだった。先日新人ジョッキーの紹介で快活な挨拶をかましたあの青年だった。
プロの世界。当時19歳とは言えプロの世界。責任もってゴールまで走り切ることが出来なかった彼の責任は確かにあるが、未だ19歳の少年が背負うプレッシャーなんだろうかと私は思った。
もしかすると責任すら感じず「はい次の騎乗!」と気持ちが切り替えられるタイプの人かも知れない。
それを知る術はなく、どこかで答えるならまだしも直接聞きたい訳ではない。いや、もしそうだったとしてもいずれ視野と視座が広がり経験も景色も変わって来た時、この経験が振り還って彼の心を覆う日がいつか来る。
この日から頭の中で、あの快活な少年は「水沼元輝 騎手」へと変わったのだった。
大逃げレインボービーム
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2022年3月21日。
中山のダート2400mにはあの水沼元輝騎手の名前があった。
昨日から、今どんな気持ちで跨っているのか私にはわからない。けれど彼がどんなレースをするのか見たくなった。
ゲートを完璧に出るとスタートから先頭に。ただ前に出過ぎているような……。気が付けばどんどん後続と離れていく。一周目の正面スタンドを回る頃には、完全に独走一人旅の状態だった。
再び向こう正面を迎えた頃には馬も完全にバテており、3,4コーナーで次々と後続に抜かれてしまう。大逃げをブチかまし、「競馬としては面白いものを見せてもらった」くらいの気持ちだった。
いつもの通りスマシの通路から、引き上げてくる騎手たちを撮ろうと思った。
そんな時だった。
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「悔しい」
そう聞こえてきた気がした。
他に例えようがないその表情を、カメラのディスプレイ越しにみて私は固まってしまった。
その時後ろから「レインボービーム、あんな騎乗するなら騎手は1年騎乗停止でいいでしょ」と聞こえてきた。
言っていたのは同じ競馬場に通うカメラマンだった。
私もこれから何年も何年も競馬に通うと、騎手や厩舎や馬主や関係者の苦労を理解し、皆がそれぞれの責任をもって大切な馬を競馬場に送り出し、最後の責任を負うジョッキーに対してでも、そんなこと言えてしまう日が来るのだろうかと怖くなった。
目の前の結果、受け入れがたい結果と暴言に、何か逆理を打ち立てたい。だが、たかが1ファンにできることなど何もない無力を感じた。
ただただ茫然と花道を後にする姿を見ることしかできなかった。
2022.3.21 中山12R #レインボービーム#水沼元輝 騎手
— Aska (@Aska_0103) March 21, 2022
幾山河、越えさり行かば。
まずゆっくり休もう。旅はこれからだ……! pic.twitter.com/rH1zsxpcC2
アイパラドックスと西田師と
2022年3月26日の土曜日は中京遠征、日曜日は中山と遠征を追えて帰って来た彼はその後2週間騎乗がなく、明けは4月16日アイバラドックスへの騎乗だった。ちょうどその頃私はボディを5D4から1DX2に乗り換え、彼を撮影できる日を今か今かと待ちわびていた。
デビューから二桁人気への騎乗が8割を締め、なかなか結果の伴わない日々が続く。何か突破口が欲しいと思い始めた頃だった。
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先行する馬の跳ね上げた砂を必死に掻き分けて前を目指すアイパラドックスも虚しく、終始中団から後方を追走する形となり、この日も16頭中の13着。
この頃くらいから、よく知り合いに「なんで水沼君を撮ってるの?」と聞かれるようになった。その知り合いの友達と思しき人から延々と水沼君の何がダメなのかや、留年した話、親戚に競馬学校の先生や騎手もいるが、伝手がなく才能もないなど、そういう話を聞かされた。間に入った友人が気まずそうに私を見ていたが、ただただそうなんですねと頷くしかなかった。
もはや彼の騎乗の何が良いとか悪いとか、そういった情報すら耳に入れ難いような日々だったある日、少しの変化が訪れる。
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ポンポンと、彼の背中を叩く。
一人の先生が水沼君の傍を歩いている。
2022年3月に開業したばかりの同じ"ピカピカ"の一年生、西田雄一郎師の姿だった。
この時はまだ西田師の事をよく知らなかったが、今思えば新人ジョッキーの苦労を最もよく理解してくれる先生の内の1人だったのかもしれない。
ただただ、私は彼の近くで寄り添ってくれる人がいるのだと解って胸を撫で下ろす日となったし、この日からこの"外野"で何を言われようが、いちいち頭を悩ませることはなくなり、西田師へこの想いを託すことになった。
初の馬券内マーベラスアゲン
![](https://assets.st-note.com/img/1672221621911-iJEYFBHn71.jpg?width=800)
春の福島遠征を終え、舞台は東京競馬場へ。
2022年4月30日、この日は春の中京開催で共にし、この後東京開催の後4戦を共にするマーベラスアゲンとの東京への初陣だった。
この日はちょうど控室と反対側の位置で、控室側を向くマーベラスアゲンに迎えられる形で水沼君が駆け寄って来た。
この角度だと騎手はよく出会い頭にそっと馬の鼻梁を撫でる姿が見れる。そんなシーンを思い描いていたら、彼は予想通りそっとマーベラスアゲンを撫でた。
レースは中団よりやや後方から。
どこの競馬場も慣れない水沼君にとって、前につけるのは難しいだろう。ましてやデビュー後初の東京競馬場。中々難しい展開になるのは想像できた。
直線、進路を塞がれた彼はそっと馬を外に出す。そこから坂を越え鞭を入れると、呼吸を合わせるように手綱を引く。
少しずつ前との距離が詰まっていく。
「頑張れ!!」
思わず声が出てしまったことに気がついた。
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結果は14頭中の3着。12番人気を馬券内に持ってくる気持ちの良いレースだった。終始マーベラスアゲンも頑張ってくれた。
推しが勝ち負けの勝負へとまた一歩近づいたことに、私は次第に初勝利を思い描くようになった。
閑話 - レインボービームがレインボービームしてレインボービームするのでは? ~新潟遠征~
レインボービームのレインボービームにレインボービームするしかない。
— Aska (@Aska_0103) May 14, 2022
2022年5月14日。
新潟の特別競走に水沼君の名前がある。
邁進特別、新潟の芝1000m。千直の舞台で登録馬はレインボービーム。あの大逃げをブチかましたレインボービームである。
重賞初勝利をアイビスSDで達成した西田師の教えもあるかも知れないし、ここはひょっとするとレインボービームがレインボービームするのでは……?そう思わざるを得なかった。
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![](https://assets.st-note.com/img/1672222817566-UzF8m2sXOS.jpg?width=800)
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私にとって実は2021年7月25日以来二度目の新潟遠征。
久しぶりに訪れた新潟競馬場はやや曇り空。
レースは残念ながら1着の馬と被さってしまい上手く撮ることができなかった。レインボービームはレインボービームできなかった。
このレースを最後にレインボービームは引退し乗馬となった。水沼君のインスタでも最後の別れを惜しむシーンが載せられ、乗せてくれる馬や関係者への感謝の解像度がより一層増す結果となった。
それと同時に、初勝利を見逃してしまうのが怖くてこの日から遠征を意識するようになる。
ゲンパチプライドとの出会い
それから数日後の東京競馬場。
オークスが行われた2022年5月22日。東京競馬場の第5R。
その日は「友達の応援する馬だから僕も応援したい。」という、いのさんと一緒にパドックで待っていた。
警備員が地下道の紐を外し、馬たちの入場の合図を知らせると、水沼君の騎乗するゲンパチプライドがゆっくりとこちらに向かってくる。
緩やかな、緩やかな歩様をするのがゲンパチプライドだった。
いつものような何気ない光景。なのにこの時、競馬を見始めてようやく1年という私でも感じるような少しの違和感を覚える。
何やらキビキビと前向きにある姿が他の馬よりも印象に留まる。
16頭中の16番人気。何度も手元のnetkeibaのオッズを見る。だが明らかにパドックでの仕上がりが違った。
![](https://assets.st-note.com/img/1672234827065-PXTfChVyNa.jpg?width=800)
私はこの明らかに状態の良いゲンパチプライドを見て、いのさんに伝える。
「ゲンパチプライド、めちゃくちゃ良いと思います……!!」何度も何度もパドックを見返す。これは絶対に来ると確信し、馬券も強気に購入。
「初勝利はここじゃないか?」
そんな期待と共にレースは始まった。
ゲートが開くと後方からのスタート。そして中団に付けての追走……見慣れた彼のレース展開だ。直線に向くと先行するイグザルトがぐんぐんと伸びていく一方、ゲンパチプライドはまだ後方。これは初勝利どころか、馬券内も厳しそう……
そんな時だった。
気が付くと後方から一気に伸びてくる一頭がいる。
ゲンパチプライドだった。
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結果は4着。それでも16番人気からの4着。
パドックの状態はやはり見間違いではなかった。
ちなみに、私はCHAGE&ASKAが好きで、インターネット上のハンドルネームはずっとASKAを使っている。もう20年ほどになる。
そんなCHAGE&ASKAの曲に「PRIDE」という曲があり、私はこの馬に勝手にシンパシーのようなものを感じるようになる。
何が真実か わからない時がある
夢に乗り込んで 傷ついて知ること
誰も知らない 涙の跡
抱きしめそこねた 恋や夢や
思い上がりと 笑われても
譲れないものがある プライド
夏競馬 苦しい闘いの日々
東京開催を終え迎える夏競馬。
水沼君の騎乗がある日は全部見届けることを覚悟した私は、足繁く遠征を繰り返すことになる。
しかし苦しい闘いの日々。なかなか結果ついてこない。
そんな日々の中、私は福島競馬場で多くの出会いを果たすことになったりと、競馬をより好きになる経験を積み重ねていく。
特に苦しかったのは7月24日の福島競馬場開催。
その日騎乗したエスシーカリファは3歳新馬を2着、次走未勝利を4着と未勝利ながらも両レース上がり最速という結果を残していた。
この日、エスシーカリファは3番人気でレースを迎えることになるが、外枠スタートに加え直後隣の馬の斜行をくらいながらもなんとか前に付けようとする。
直線は足を使い過ぎたのか、伸びを欠き10着。
前走、前々走で見せた末脚は見る影もなかった。
![](https://assets.st-note.com/img/1672240047859-8ASepoyCxK.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1672240054455-SmIySUtED8.jpg?width=800)
幅の狭い福島競馬場での位置取りやレース運び。まだ慣れない部分も多いだろうし、思い描くような競馬は水沼君自身の中でも中々できていないかも知れない。それでも彼の背には耳をふさぎたくなるような罵声が飛び交い、SNSでは信じられないような辛辣なコメントが並んだ。全部waybackmachineに登録して、さらに魚拓も撮った。
そしてこの後の新潟開催でも結果が残せず、夏開催は平均して2桁着順位という結果になってしまう。
その夏開催の終わり、新潟記念が行われた2022年9月4日。
15頭立て15番人気のグランドルチルを11着まで持ってきて、彼は夏競馬を終えた。私は悔しい気持ちを噛み締めていた。
そんな時、いつものように馬の首筋を撫でる彼の姿を遠目に見た。
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どんな結果であれ、馬を気遣うことを忘れはしない。彼自身、ひと鞍ひと鞍に得るものを探しているはずだ。
そんな前向きな心が報われる日を、その手がいずれ空に掲げられる日を夢見て、私は夏競馬を終えたのだった。
クラッチシュートがくれたもの
2022年9月6日。
ヤングジョッキーズシリーズのトライアルが大井競馬場で始まった。
水沼君は有難いことに大井、船橋、川崎の3場で騎乗予定で、遠征を終えて金欠気味の私にとってありがたい場所での開催となった。
久々に競馬場で会ったカメラマン仲間は私と顔を見合わせるとこういった。
「良かった。」
一瞬何のことだろうかと思うと、彼女は続けてこういう。
「推しが勝てずに辞めてった人を何人も見てきたから。」と。
その気持ちはわからないでもない。ただ、全く変わらず応援を続ける私を見て、ただただ「良かった」のだと言う。
私の中で水沼君を推す、確たる理由があったので、そもそも辞めようという感情は1mmも沸いたことがなかった。バイハリウッドの、レインボービームのあの日から、彼が騎手で居続ける限り応援し続けようとずっと心に決めていたからだ。
そんな想いと共に始まったトライアル初戦は14頭中14着。
残り1戦。
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馬の名前はクラッチシュート。
意味は「試合を決定付けるシュート」の事。
「水沼君にとってのクラッチシュートになって欲しい。」と、ファンならそう願わずには居られない名前だった。
レースは進路を内に保ったまま前目のレース運び。
過去のレースで見たことがないような好騎乗がそこにはあった。
向こう正面で2番手追走のまま4コーナーを回ると、
十分な手応えでこちらに向かってくる。
直線で先頭に立つと、迫る二番手の猛追を振り切り、彼は見事初勝利を挙げた。彼自身、気持ちが爆発したのか、右手は大きく空へと掲げられていた。
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無我夢中でシャッターを切っていた私も、1着入線を見てワッ!っと走り出す。ずっと水沼君を応援する姿を見ていた仲間たちから「おめでとうございます!」という沢山の声を頂いた。本当にありがたい事だった。まるで世界中が祝ってくれているような感覚にすらなった。
引き上げてくる彼は再び拳を掲げ、堂々と客席側まで戻って来た。その笑顔はやり切った満足感と、少しの疲れ、そしてほっとした安堵の表情のような、そんな気がした。
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実は水沼君は9月2日(金)が誕生日。
残念ながらその土日の中央開催で勝利は上げられなかったが、無事翌週勝利のプレゼントをクラッチシュートからもらったことになる。
両手を使って精いっぱい、客席に手を合わせてお辞儀をし、何度も何度もありがとうございますと声を上げる彼の姿を見て、私も沢山のものを既にもらっていたことに気が付く。
この日は帰路に付き、家で現像している最中に一人で泣いた。辛い事も苦しいことも、嬉しい事も、まだ旅の途中なのだと改めて知って。
果てなむ国ぞ 今日も旅行く
— Aska (@Aska_0103) September 6, 2022
まだまだ、どこまでも行くぞ。 https://t.co/OyC7sCTGj5 pic.twitter.com/3nKT7MaQGs
再戦 ネバレチュゴー
2022年9月11日。
この日は1Rから騎乗があった。
夏の新潟千直で1度騎乗したことのあるネバレチュゴー。
芝からダートへの転向初戦。西田厩舎の馬だった。
先日の大井での快勝の後、得るモノがあったとすればもう1つ。「勝利」という経験だと思った。
ネバレチュゴーにとって初めてのダートも、自信の付いた今の水沼くんなら思い切った騎乗をしてくれるとそう願っていた。
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今まで見たことないくらい頬が緩む水沼J
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真剣な面持ち
中山のダート1200m。
芝の長い外枠有利な中、内枠4番からスタートを上手く決めると、どんどん前へ前へと突き進んでいく。
まるであの日、レインボービームと共に突き進んだ中山の馬場を確かな手ごたえと共にどんどん前に出ると、3コーナーを迎えるころにはすでに先頭だった。
「Askaさん!!これありますよ!!」
一緒にゴール前で撮影していたカメラマンみんなが私の肩を揺らす。
先日大井で初勝利を迎えたばかりなのに、もうすぐ中央初勝利が目の前にある。まだわからない、競馬は最後までわからない。ゴールを決めるその瞬間まで、競馬というものはその正体を明かさない。
そんな気持ちとは裏腹に、ネバレチュゴーは直線を突き抜け2着に6馬身差の快勝。水沼元輝騎手、中央初勝利の瞬間だった。
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まるで先日の大井での出来事がフラッシュバックしたかのように、沢山に人に「おめでとう」という声をいただいた。
悔しい表情を見せたあの日から、半年近くが過ぎていたこの日。最高の形で私は推しの中央初勝利の瞬間を見届けることとなった。
本当は自厩舎の馬で勝ちたいところもあるだろう。けれど、あの西田師と共に手に入れた初勝利であることが嬉しかった。
競馬という世界の中で1つの縁があることを知って、私はより安心してここから応援することができると思った。
閑話 - ゲンパチプライドと騎乗成績
![](https://assets.st-note.com/img/1672243488338-zDPj5mwVPe.jpg?width=800)
ところでゲンパチプライドにはその後も騎乗させてもらい、複勝率は約40%という成績を収めている。
というのも、水沼元輝騎手の中央初勝利以降の騎乗回数は
▼12月25日時点
騎乗回数:54
掲示板率:37%(20回)
複勝率:12%(7回)
勝率:2%(1回)
という成績である。
初勝利を挙げる前の同騎乗回数でのデータは
騎乗回数:54
掲示板率:7%(4回)
複勝率:3.5%(2回)
勝率:0%
という状態だったので、明らかにクラッチシュートでの初勝利以降、確実に結果が伴うようになってきているのである。
これは本人の技能だけでなく評価や環境も変わりつつあるのだろうと思った。
ヤングジョッキーズシリーズ本戦
2022年12月16日。
ヤングジョッキーズシリーズの本戦。
開催地は名古屋競馬場と中京競馬場で、名古屋競馬場への経路をどうしようか悩んでいたところ、ゆちゃんさんにお声がけいただき一緒に車で連れてって頂くことになった。
当日、名古屋競馬場で待ち合わせし車に乗り込むと、車内のスピーカーから結束バンドの「Distortion!!」が流れ出し、思わず「おおっ!」と声がでる。
「Askaさんなら喜ぶと思ったので。」と彼女は言う。
最近はぼっちざろっくにハマって、その手のツイートばかりしていたので気遣ってくれたのだろう。
ギターの弦が揺れるたび
揺るがないものに変わっていく
指先が硬くなるたび
この意志も固くなるの
結束バンドの名曲に揺られながら名古屋競馬場へと向かう。
![](https://assets.st-note.com/img/1672404248430-gBuv5JO31P.jpg?width=800)
応援幕とサルセル
![](https://assets.st-note.com/img/1672404350982-4ahfFyA4sQ.jpg?width=800)
厩舎カラーと"水"色に染められた応援幕を背に、サルセルは馬場へと入っていく。いつもと変わらない表情。
初勝利をあげる前までは、目線を下に落とすことが多かった気がするが、クラッチシュート、そしてネバレチュゴーの勝利は彼の気持ちを確実に前向きに変化させてくれたと思う。
馬場に入れば頼れるパートナーは一頭。ただその面舵を決める自分自身との心の戦いに、勝利という経験は他では得られないだろう。
レースの内容はスタートから先頭に向けて勢いをつけそのまま1,2コーナーを周ると他の馬が外を選択する中、ただ一頭だけ内を選択。
後のインタビューでも「エンジンのかかりづらい馬だと聞いていたので、行った行ったで競馬をしようと思った」と答えている通り、むやみに位置取りを変えるよりはそのまま行った方が良いと判断したのだろう。
やや重たい内沿いを馬の力を借りながらペースを落とさず突き進んでいく。
![](https://assets.st-note.com/img/1672405911871-ESjPcciU0d.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1672405915155-GLBAIJp4ea.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1672405958100-V9eRyqEUVg.jpg?width=800)
久々の勝利だった。
続く二戦目は残念ながら9着と結果を残せなかったが、遠征の地で彼のガッツポーズが見れただけでも満足という気持ちだった。
![](https://assets.st-note.com/img/1672406189853-G72nEwiPpB.jpg?width=800)
嬉しい時はいつも両手を使ってアピール
翌日の2022年12月17日。
中京競馬場で行われるヤングジョッキーズシリーズ最終日。
![](https://assets.st-note.com/img/1672406284331-9u81Jjgzwk.jpg?width=800)
仲良しの猛蔵君と
前日の名古屋競馬場での結果を反映して、現時点で獲得ポイントが1位2位のジョッキーにインタビューをするという。
マイクを渡され、司会から「名古屋での試合を振り返ってみてどうか」と聞かれると彼はこう言った。
「大井と名古屋とで勝たせてもらったので、このままだと地方に移籍した方がいいんじゃないかという声も聞こえてきそうなので……」と。
私は「あぁ、この日が来たな」と思った。
そんなに深く気にすることもないのだが、私なら絶対そういう事は言えないなと思った。捉え方によっては「地方なら勝てる」と、地方Jの前で言ってるようにも聞こえるからだ。当然本人にはそんなつもりは無く、「地方の方が向いてるんじゃないか」と周りから言われるかも知れない、くらいの自分を卑下する気持ちだったのだろう。
とは言えまだ競馬学校を卒業して1年の若人。
20歳の青年らしい、等身大のインタビューだった。
そういう一面を感じる日がいつか、そしてこれから沢山あるだろうなと心構えしていた私は「これもまた旅の過程」と、猛蔵君と嬉々と会話する姿を見て腕を組み眺めていた。
レースの時間になると、少しの異変を見る。
![](https://assets.st-note.com/img/1672406971133-0qDObrm34v.jpg?width=800)
ゾロの鞍上
表情が明らかに硬い。
パドックでは割とファンの方を見て笑顔を向けることが多いのだが、最終日の緊張からか口角も下がったままだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1672407037614-fBSECG53yf.jpg?width=800)
水沼君にとって大事な日となるこの最終日。
どんなプレッシャーがあったのだろうか。
このレースは川端騎手が道中後続を引き離して先頭に立つと、ぐんぐんと後続を引き離し先頭から後方まで30馬身差はあろう縦長の展開となる。
ゾロと水沼君は最後方から追走する形となり、直線必死に伸びるも12着。
![](https://assets.st-note.com/img/1672413922149-zYruSucXLS.jpg?width=800)
アイアンムスメと共に
続くファイナル2戦目。
前走の後方追走の失敗を繰り返さないというように、11番ながら内に付け先頭集団に食らいつこうとする。
最後の直線も最内から一生懸命伸びるも、外から飛び出す泉谷騎手が差し切り見事勝利を挙げ、水沼君はなんとか掲示板に残り、まるで名古屋での勝利が夢だったかのように、水沼元輝騎手初めてのヤングジョッキーズシリーズは総合得点4位という結果となった。
![](https://assets.st-note.com/img/1672407714415-fqqticXRZ3.jpg?width=800)
レース後の勝利騎手表彰式。
騎手が現れる前のこの時間、ぼうっと演壇を眺めていた。
「──たら、──れば。」思考がぐるぐると頭をめぐる。
願わくばこの演壇に、立つ君が見たいと思っていた最後のインタビューに彼の姿はなかった。
悔しいが目の前の現実は受け入れなければならない。
勝利への強い気持ちがまた1つ強くなったところで、あの表彰台に上る日を願い、私のヤングジョッキーズシリーズは終わりを告げた。
振り返ってみて
未だに信じられない。競馬にハマる前はずっとゲーム三昧の超インドア。
5年前くらいの自分に会って「お前は数年後競馬にハマり、カメラを買い、騎手の追っかけをやってるよ」と伝えても絶対信じないだろうと思う。
ただもともとゲームを始めとするアニメや漫画の趣味も、作品そのもののストーリーとは他に、バックグラウンドやレガシーといった作品の裏側が好きだったり、そこにかける人の想いのようなものに最も突き動かされることが多かった。
また、プライベートで行っている保護猫活動を続ける中で、動物との対話や対話が一方向でなく双方向に感じる瞬間に喜びを感じるような性格だったりと、そういったものが上手く競馬というコンテンツにハマったんだろうなとう自覚はある。
とは言えまさか新潟や福島、中京競馬場に遠征してまで写真を撮るような生活になるとは……。競馬もカメラも写真も新しい知識欲を満たしてくれているし、今後も楽しみながらこの趣味を続けたいと思う。
おわりに
最後に「どうして水沼元輝君を推すようになったんですか?」と、聞かれることがあるので、それに対して答えて終わりにしたいと思う。
それは水沼君と同じ歳の頃だった自分の姿を重ねたからだった。
僕自身、世間的には恵まれない環境の中で社会に飛び込み、今思えば辛い19、20歳頃だったと思う。
それでも競馬という特殊な社会の中で、もし自分があの場所に飛び込んでいたら、自分なら同じように頑張れただろうか?いや……。という考える視座をくれたバイハリウッドのあの日、それを思わせる相手が水沼元輝という騎手だったからだ。
まだ成人したばかりの彼にとっても騎手としても、これからの騎手生活は苦難の連続だと思う。
時には競馬とは関係のないところで問題が起きてしまうかも知れない。何かに躓いてしまう日が来るかもしれない。その時心無い言葉が飛び交うかもしれない。
そんな人生の節目が来た時、ただただ彼を応援する人でありたいと思ったのだ。私が人生の節目で転んだ時、立ち上がるために多くの人にお世話になったように、君を応援する人がここにいるぞと、1つの目印になりたいのだ。
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そしていつかこの客席を、
君の走りで埋める日が来る事を夢見て。
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