ウマ娘から競馬の世界へ

はじめに

  • 本稿はC100にて頒布した「ごまのうま本 Vol.1」に寄稿した「ウマ娘から競馬の世界へ」の再掲となります。

  • 執筆は2022年6月当時の内容です。

これは、本稿は私自身の自己満足であり、競馬生活を送る上で1つの点として残しておきたい思い出のようなものです。

2年の時がもうすぐ経つというのに、未だ、あの日の衝撃を上手く言葉にできないままエフフォーリアが競走馬生活を終えることとなりました。

2021年のダービーが初めての競馬場だった私にとってエフフォーリア、当然シャフリヤールも、他とは違う特別な馬であることに変わりません。

私が最も彼らのことをちゃんと言葉にできたのが、あの日寄稿した「ウマ娘から競馬の世界へ」でした。

以前から公開の許可は得ていたのですが、なかなか公開するタイミングがなく。ただ今日改めて今なのかなと思い立ち、こうして公開させていただくに至りました。

よろしければ、ぜひ最後までお付き合いください。
よろしくお願い致します。



ウマ娘から競馬の世界へ

──あれは2021年2月の末のこと。 
Twitterでゲームアプリ「ウマ娘」がリリースされたという情報を目にした。

以前からその名前は耳にしていたものの、何やら色々あってリリースまでに長い時間がかかってしまったということ以外は何も知らなかった。Cygamesの作品だし、ウマ娘というゲームは今後色々なシーンで話題になるのだろうと思い、話のネタ程度にインストールした。

思えばその行動が、人生そのものを大きく変えてしまったわけだが。


ウマ娘がなんたるかを、この本を手に取った方々に説明はもはや不要だろう。表面的には美少女たちの育成ゲームにしか見えないこの作品が、内に秘めたるは競馬が持つレガシーへの讃美歌とも言えるストーリーの数々。それはいとも容易く私を魅了していった。

しかし、どうにも推しが定まらない。見た目ならライスシャワー。バックグラウンドならアドマイヤベガ。歴史そこにありマルゼンスキー、いやウオッカとダイワスカーレットもいい。もう全部好きだ。キャラクターデザインが良いからというだけの問題ではない。1ウマ1ウマにそれぞれ深いエピソードがある。調べれば調べるほどに。

そんな悶々とした日々の最中、Twitterで競馬おじさんたちが何やら盛り上がりを見せている。どうやら現実の世界でG1が行われるらしい。

それは2021年、4月4日開催の大阪杯。

スタート直後、内からハナを切ろうとするサリオスを抑えてレイパパレが先頭に立ち、道中縦長の展開のまま4角を迎えると、追いすがるモズベッロとコントレイルを突き放したレイパパレが堂々4馬身差、そして6連勝を決めたあのレースだった。

忘れもしないその時の感情。
G1だと言うのに、まるで何も感じなかった感覚。

ただ名前しか知らず、彼らの背景もわからず、騎手の事も知らず、何も感情移入できなかったその時、私は競馬の事を好きではないんじゃないかと思うようになった。

ウマ娘はウマ娘で素晴らしいコンテンツであることを理解している。ただ、この美少女たちの根幹には、競馬という世界で闘い続けた本来の姿がある。

触れたことのない物の感覚を理解できないように、競馬という液晶に映し出された世界を、私は何も理解できていないのではないか。

果たして、私が好きなのは美少女のウマなのか?
それとも競馬が好きなのか?

考えれば考えるほど、ある1つの方法でしか確かめられないと考えるようになった。

──2021年5月30日

気が付くと私は東京競馬場に立っていた。
ここがあの沈黙の日曜日の、芝2000mを2cm差で競ったあのデッドヒートの、そして日本総大将が闘った場所。

今日、私はこの場所にあの時の気持ちを確かめにきた。
「ウマ娘」が好きなのか、それとも「競馬」が好きなのか。

その気持ちに答えをくれたのは日本ダービー。3歳馬の頂点を決める、王座の争いである。これが後に熾烈極める2歳戦、そして3歳春のトライアルを勝ち抜いてきた優駿たちが集う場所だと改めて再認識するわけだが、パドックを前に立つ私はもうそれどころではなかった。

美しい馬体、美しい歩様。そして嵐の前の静けさの中にある、確かな張り詰めた空気。これから訪れるであろう栄光と敗北の前に、馬たちはただ静かに歩き続ける。強く、逞しく、美しいその光景を全身に浴び、しばらくの間無言で眺めることしかできなかった。

いやいや、そんな呆然とこの日を終えるわけにはいかない。眼の前に広がる光景を少しでも後に残すため、スマートフォンに一頭一頭収めていく。シャッター音が馬たちの迷惑にならないだろうか?と思ったが、周囲から聞こえる凄まじいシャッター音の嵐を前に、私の考えは杞憂に終わる。

そして始まった第88回日本ダービー。目の前で行われる激戦を、私は言語化できるほどハッキリと覚えてはいないが、無理もないことを許してほしい。その日初めて競馬を生で見たのだ。衝撃という言葉以外に、何も伝えられることはない。

その日、勝った馬の名前は「シャフリヤール」で、
僅差に終わった馬の名前が「エフフォーリア」ということだけは分かった。

帰り道、パドックで撮ったスマートフォンの写真を眺めていて、どんどん馬の魅力に惹かれていった。「こんな美しい姿を、形を、どうして今まで気にも留めなかったのだろう?」と。

考えるまでもない。私は「ギャンブルだから」と競馬のことを心のどこかで向き合う必要のないものだと感じていたのだろう。パチンコもスロットもやらない私にとって、競馬はただのギャンブルだった。そんな考えは実際の競走馬を見て吹き飛んでしまったわけだが。

スマホの画面を一生懸命スワイプしてはピンチアウト。どうにもこの画質では満足できない。そういえば、競馬場では多くの人がカメラを構えて写真を撮っていた。そんな気持ちになるのは当然だろうと思った。

帰りの電車の中で「カメラが欲しいな。」と、一緒に競馬場に行った妻に呟いてみた。彼女はそれを察していたかのように「どうせ買うのに何を迷う必要があるの?」と、そっけない返事をした。私のアマチュア競馬カメラマンとしての歩みはそこから始まったのだった。

──2021年6月20日

武蔵野線に揺られて目指すは府中本町。駅のホームから最短コースで改札に行ける階段の目の前が、ちょうど降車位置になるよう何号車の何番ドアに座るかを決めるようになった私は、移動中にその日出馬する馬のリストを確かめながら現地に向かうのが日課になっていた。特に場所取り競争や開門ダッシュなどがあるわけではない。単に早く馬に会いたくてそういう行動を取るようになった。

競馬場につくと、決して走らずそして焦らず入場ゲートへと向かう。当時の入場にはスマホの事前登録画面と個人証明証が必要だったため、入場ゲート100mほど前からスマホとマイナンバーカードを取り出し万全の状態で窓口へと向かうようにしていた。気分はさながら4角を越えて鞭を打たれる競走馬の気分だ。いや鞭を打つのは自分なのだが。

入場を終え、足早にパドックへ向かいカメラを取り出す。現地に付いてからすぐカメラを取り出せるよう、カメラのボディとレンズを装着した状態で家を出るため、その所作も抜かりない。そして1R出走の馬たちがパドックに現れるのを今か今かと待つ。気温の高い東京競馬場のパドックでは、馬の熱中症予防対策としてパドック脇からミストを噴射するのだが、このミストの開始は馬たちの入場の合図なのだ。

そんな風に、当たり前のように競馬場に通うようになった私は、その日ある馬に心を惹かれるようになる。その馬の名前は「ファステストシチー」。エイシンヒカリ産駒の葦毛馬だった。

常に笑顔のようにみえる横顔。時折見せる変顔。パドックを軽やかに歩き、光に反射してキラキラと光る葦毛に似合う紫のメンコ。目を閉じれば「でもやせたーい!」のあの顔!可愛い。本当に可愛い。無心でシャッターを切る。

そういえば競馬に詳しい会社の先輩から聞いたことがある。「競馬の初心者は葦毛の馬が好きになる」と。セオリー通りにハマってしまった自分が、なんだか恥ずかしいような気もするが、そんなことはどうでもよかった。ファステストシチーという馬をどんどん好きになる自分が居た。

パドックのモニターに目をやると、そこに表示されたのは「2100m ダート」の文字。どうやらこの子はダートを走るらしい。幸い私が購入したEOS90DとSIGMA 150-600mm F5-6.3レンズは、広い東京競馬場のダートを撮るには十分な性能だ。

私みたいな競馬初心者が好きになった馬なのだから、ビギナーズラック的な幸運に恵まれて、もしかしたら勝ってしまうのでは?なんていう自己中心的且つ短絡的な思考により、私はこの子の勝つ瞬間を絶対に撮るのだと意気揚々と観客席へ向かった。

しかし結果は16頭立ての11着。1着とは2秒差の入線となり、力の差は明確だった。「ビギナーの私が好きになったから勝つんじゃないか」という甘い考えは競馬という競争の世界で通用するはずがないのだ。悔しい思いを感じながらも、引き返す馬たちを一頭一頭写真に撮っていく。そこにはファステストシチーの姿もあった。

今から書くことは完全に私の主観で、馬たちが実際にそういうものなのかは一切わからない。その前提で読んで頂けるとありがたいのだが、ファステストシチーは2100mを走り終えても全く疲れを感じない素振りをしていたように思う。なんというか、これは失礼に当たるかもしれないのだが、正直「本気で走ってない」ように私からは見えた。

駈歩から常歩へと変わるその瞬間も、鼻呼吸もとても落ち着いて見える。表情はパドックに居た時となんら変わらない。時には鼻血を垂らし、全身が汗にまみれ、ぜーぜーと帰ってくる馬たちもいるというのに、まるで散歩帰りのようなその姿には、私もさすがに変な笑いが出た。

私は嬉しかった。最初はウマ娘から入り、競馬が特に好きというわけではなく、美少女たちが教えてくれる競馬の歴史を掻い摘んでは調べて、先人たちの思い出に舌鼓を打つような楽しみ方で収まるんじゃないかと思っていたからこそ、本物の馬を好きになった自分が居て嬉しかったのだ。

それが良いとか悪いとかの話ではない。ただウマ娘を通じて感じた、競馬という強烈な熱に触れることで、私は心の底から競馬を好きになれた。それを確かめられたことが良かった。大阪杯でただの無関心だった私は、何も知らないだけだった。

「これから、このファステストシチーという馬を応援するんだ!」

そう決めた矢先、ファステストシチーは中央競馬の登録を抹消し、門別への転厩が決まり会うことができなくなるのだった。私は競馬という世界の深淵をゆっくりと覗き始めた。

──2021年12月6日

その日、ファステストシチーは水沢競馬場第5Rを走る。結局門別を走ったのは1戦のみでその後転厩。盛岡、水沢へと拠点を移し、しばらくは善戦が続いていた。それでも1勝は遠い。1勝が遠いのだ。会いに行けないもどかしさと悔しさが、時間という悪意になって通り過ぎていく。

そして始まる第5R、スタートから先団に付けると好位を追走。地方競馬に転厩してから、競馬らしい競馬ができるようになっていた。じっくりと脚を溜め、先行集団に揉まれながらも食らいついていく。

ハナを切って逃げる馬の、後ろ脚が掻き上げた土をその身に受け、粘り強く食らいついていく。土の塊が馬体に当たり弾ける様子を、私は何度も競馬場で見てきた。その過酷なダートを、1400mという距離を必死に食らいついていく。

4角を回り、まだ前方には2頭。内目の進路は完全に取られている。外に出すしか他に道はない。前を駆ける2頭を追い切るように、ジョッキーからの強い鞭に応えて彼の脚はグングンと上がっていく。ゴール前100m。ギリギリ交わせるかという位置。地方競馬ライブのモニター越しに私は大きく叫んだ。

「届けーーーッ!!!」

入線直前、ファステストシチーは見事に差し切り、無事初勝利を遂げた。
長い長い闘いだった。ウマ娘にハマって、競馬を好きになって、好きな馬ができて、初勝利まで約10か月が過ぎていた。ウマ娘を好きになって、気が付けばこんな遠くまで連れてきてもらった。

その後、ファステストシチーは連勝街道を進むことになるが、この文章が世に出るとき、彼はどんな活躍を残しているだろうか。

それにしても、あの日偶然惚れた子が地方で開花し、才能を発揮する姿を追い続けられるというのは、なんとも言葉にできない感動がある。出来すぎたドラマのようにも感じる。これもまた競馬でしか味わえない魅力なのだろう。

──2022年

今年もダービーがやってきた。

コロナ禍も一区切り付き、人が帰ってきた東京競馬場は6万2364人の歓声に沸く。
そんな新時代の幕開けで優勝を果たしたのはドウデュースだった。
鞍上は武豊騎手。時代の節目にこの人在りと、誰もがそう思わざるを得ない結果になったと思う。ウイニングランで帰ってくる武豊騎手とドウデュースを前に、誰もが「おめでとう!」と歓声を上げる。6万人もの人の心が1つになった瞬間だった。

競馬を初めて見た日から1年。何もわからなかったあの日から、私はようやくダービーの意味を、少しは理解できるようになっていた。


そして、あの日みたシャフリヤールはドバイシーマクラシックを勝ち、エフフォーリアは横山武史騎手と共に、天皇賞秋の舞台でダービーでシャフリヤールの鞍上だった福永祐一騎手へとリベンジを果たした。

この1年の間に多くの出会いと別れがあり、私はどんどん競馬を好きになっていった。そんな折に、今回「ウマ娘から競馬沼にハマった人の思い出を書いてくれないか。」と言われたものだから、自身の思い出を振り返るのにもちょうど良いと快諾させていただいた。

それでもたった1年。長い長い競馬の歴史の中のたった1年。
競馬の歴史の、ほんの一節しか知らない私が語るにはあまりにも烏滸がましいが、それでもここは手に取ってくださった皆さまに伝えるため、著者としての思いを綴らせてもらう。

競馬場は、数多の困難を乗り越えた馬と人が繋いできた道の途中。
そして、新たな馬生へと繋がる道の半ばで起こる、彼らの煌めきが集いぶつかり合う場所。


競馬写真にその馬の生涯は写らないが、そこに居た証は永遠と残り続ける。
その証が、彼らのこれからの人生を想う記録にもなる。

あの日、軽い気持ちでインストールしたウマ娘というアプリに、どうやらとんでもない所まで連れてこられたようだ。それでも、これからも私は競馬写真を撮り続けるだろう。

彼らの終わりなきターフの傍で。

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