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天皇賞・秋、すごい楽しかった。

天皇賞・秋、お疲れさまでした。

G1の翌日特有の、まだ心に灯されたままの熱い残り火の余韻と、節々に感じる体中の痛み。両者を感じつつもネットでは昨日の回顧が綴られ、私もその一員になりたいとnoteを書き始めた。

昨年「令和のツインターボ」と数多の想いを込められた言葉選びと、違いようのない「57.4」というタイムで長く語り継がれるであろう2022年の天皇賞を見れたと思うが、今年は今年で前半57.7-後半57.5という目を疑うレースを見せられてしまった。

以前、エフフォーリアが勝った21年天皇賞秋で、僕はgomaさんから「秋は必ず何かがある。」と聞かされていたのを思い出していた。彼はその翌年にはパンサラッサに憧憬を焼かれ、見たかった大欅の先の景色を見ることができた。

「毎年毎年、天皇賞・秋というものはこんな想いをさせるのか」と思っていたところ、実はそうでもないらしい。

競馬の話ができるようになった


話は少しさかのぼるが、競馬にハマって少し過ぎた頃。
引退していく馬たちに対して「ありがとう」以上に贈る言葉を持ち合わせない自分に少し苛立ちを感じていた。

競馬そのものが好きなのは間違いないのだけれど、競馬という競技の内容に対して理解度は薄く、何も言語化できてない自分がそこには居た。

今もまだまだ理解が足りていないことだらけなのだが、それでも人と競馬の話をちゃんとできるようになるくらいにはなりたいそう思っていた。

それが今年の天皇賞・秋。レースを終えた後、仲間たちと興奮のままレースを振り返っている時、僕はこういった。

「去年は逃げるパンサラッサを控えて差し切り、今年は逃げるジャックドールを追って先行押し切り、まるでゲームの中の馬みたいだ。」と。

それを聞いたとしき君が「うわー!確かに。やばすぎる!!」と叫んだ。
僕はその時初めて、時折人に驚きの視点をシェアできるくらいには喋れるようにやっと成れたのかと思った。特にとしき君はレースの内容もしっかり見て競馬を楽しんでいる人なので、そういう人とこうして盛り上がれるのは凄く良い事だなと噛み締めていた。

その後、熟練のファンも唸る記事をいつも書かれるマスクマン氏も同じような感想をツイートで述べていたので、僕の中でようやく人前で喋れるようになれたなと、一つを区切りを迎えることができた。

写真の力に頼りたくなかった

それに、写真というのはその1枚に強い画力を持っていて、いともたやすく情報を発信することができてしまう。

私は以前これらのツイートをして、いとも容易く拡散されていくのを見て反省した。当時の私はまだまだ初心者で、競馬に対する知識も何もない。なのに安易な言葉選びで、誰かにとって命より大切な馬たちの印象を身勝手に付けるような言葉を選んでしまった。

私が目指す先には、写真もしっかり熟達し、言葉も選り優れるようになりたかった。全ての人に理解してもらいたいわけではない。ただ私の事を知っている、私を見てくれている人たちには「コイツにはしっかりと競馬を見てきた時間と経験があり、その上で選んだ言葉なのだ」と理解してもらえるためにも、そのような浅い考えで居てはだめだと考えていた。

繰り返しになるが、にも拘わらず美しい馬たちの姿を借りて言葉にするなんて……と悔い、私は言葉にするべきことと、写真にするべきことは分けるようにした。

仮に写真と言葉にしたとしてもweb UI上のファーストビューに載ることは避けようと決めた。少しでも気になって内容を掘り下げた人だけに届くよう、それからツリー上にだけ時折、写真と言葉を合わせることも増えたが、基本的には今も言葉と写真はそれぞれ別で成長したいと思っていた。


だからこそ、競馬を愛する人たちと、競馬の話をできたことが本当に嬉しかった。

競馬を愛する人になりたい。

「そもそも愛する人とはなんだろう?」という、答えを私は持っていない。
それでも、それぞれの思いで競馬を愛する人たちと関わっていく中で、心に宿った熱が掘り起こされていくのを感じる。

天皇賞・秋の帰り道、大先生である某カメラマンさんがこう仰っていた。

「府中はいいね!やっぱ滾るっしょ!胸の内が!!熱がこうボカーンて!バーンてくるよな!!いいねやっぱ熱くなるわ!!」

正直その言葉選びにはその瞬間笑ってしまったし、今これを見てくれている人たちを笑わそうと思って書いたところはある。

だけれど、それ以外にない。僕はまだ昨日の事を締めくくるなら、確かに心にボカーンと熱がこもって、マグマのように滾ってしかたないのだ。言葉言葉とそれに偏ってもまた、面白くはないでしょう。

2023年の天皇賞・秋、僕は一生忘れないボカーンと爆発した熱を刻んだ。

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