『ノーカントリー』映画原作紹介『血と暴力の国』

映画原作紹介ということで『ノーカントリー』の原作小説であるコーマック・マッカーシー著『血と暴力の国』について映画と比較しながら紹介していきます。ネタバレありの内容となっていますので是非映画を観てからご覧になってください。

・『ノーカントリー』紹介
映画『ノーカントリー』とは、偶然麻薬密売人同士の銃撃戦があった現場を発見したベトナム帰還兵のモスが、その場に残された200万ドルという大金を盗み出したことによりアントン・シガーという危険な殺人者を呼び込んでしまい、連鎖的に抗争に発展するという内容のクライム・サスペンスです。
苛烈な暴力シーン、ベテラン保安官ベルの厭世的なモノローグ、現実の不条理を説くシガーの哲学的な会話、美しく撮影された80年代の西テキサスの風景など、様々な要素が印象的な作品でアカデミー賞では作品賞、監督賞、助演男優賞、脚色賞の四冠を受賞したコーエン兄弟の代表的傑作です。

・コーマック・マッカーシー紹介
コーマック・マッカーシーとは1965年にデビューし、1992年にベストセラーになった『すべての美しい馬』を書いたアメリカの小説家で『血と暴力の国』では七年ぶりの新作が犯罪小説ということで読者を驚かせました。ほかにも2006年の『ザ・ロード』という作品でピュリッツァー賞を受賞しています。

・『血と暴力の国』映画版相違点
『血と暴力の国』の内容に入っていきますが、まず最初に思ったのはこの小説は心理描写が極端に少ないです。保安官ベルのモノローグで始まり、逮捕されたシガーが保安官補を殺して逃走するシーンからモスが殺戮現場を発見するところまでが一つの章になっているのですが、登場人物の心情を表すような「~と思った」というような文章はほとんどなく、短いセンテンスでカメラに映すように出来事をひたすら羅列する文体です。なので読んだ人は映画が原作を忠実に再現していた印象を受けるのではないでしょうか?映画を観てこの時登場人物が何を思っていたのか気になって原作を読む人にとってはほとんど手がかりを掴めないかもしれません。

中盤でモスとシガーが対峙するシーンがあります。映画ではモスがホテルで札束に隠されていた発信器に気付きますが既に手遅れでシガーに部屋を割り出されます。そして迎え撃とうと銃を構えるもエアボルトで撃ち抜かれたドアのシリンダーに当たって負傷するというシームレスなサスペンスーアクションシーンになっています。原作小説では発信器に気づくところまでは映画と同じですがシガーはシリンダーを撃ち抜くことなく鍵を開けて部屋に入り、ベッドの下に潜んでいたモスがその背中に銃を向けてショットガンを捨てさせることに成功します。このシーンの違いはおそらく映画の演出方針によって生まれていて、映画ではモスとシガー、ベルの三人が同じカメラに映らないように撮られていて対峙するシーンでも扉を挟んでお互いが見えないようになっています。このことで映画版ではより個人と個人の対決という意味合いが強くなっています。原作小説ではその後モスは無傷でホテルを後にしますが、追いついたシガーと撃ち合いになりやはりお互いに負傷します。モスは自力で国境を超えて病院に搬送され、シガーはマフィアと銃撃戦をして全員を皆殺しにした後その場を去ります。複数人を相手に返り討ちにするシガーの凶悪な強さがわかります。

ベルがエリス叔父に会いにいく場面でベルが戦争の英雄の話をします。その戦争の英雄とはベル自身のことで、ベルの所属していた部隊はドイツ軍の襲撃に遭い仲間が瓦礫の下敷きになったと言います。生き残ったベルは勲章をもらいますが、それは下敷きになった戦友を置いて一人だけ逃げ出した結果なのでした。軍の体裁を保つためそのことを秘密にしつつずっとベルは恥じていました。叔父にこのことを告白する場面は映画版では割愛され単に叔父に保安官を引退することを報告する場面になっています。昔気質の厳格な保安官の印象だったベルの内面に常に償いの意識があったことを伺わせる重要な場面です。戦友を置いて逃げ出したことはアントンシガーを捕まえることを諦めて保安官を引退することにも心情的に重なっているようにも思います。

・印象に残った文章
全体を通じて印象に残った文章を3つほど抜粋します。

[モスが死んだ男のそばにあった書類鞄を開けるシーン]
「鞄には百ドル札の札束が縁まで詰まっていた。札束は帯封で留められそれぞれの帯封には一万ドルとスタンプが押してあった。合計の金額は不明だがおおよその見当はついた。しばらく札束を眺めたあとでフラップを閉じ頭を垂れてじっと坐っていた。自分の全生涯が眼の前にあった。これから死ぬまでの陽がのぼり沈む一日一日。そのすべてが鞄のなかの重さ四十ポンドほどの紙の束に凝縮されていた。」
映画版ではモスが欲に眩んで金を盗み出したようにしか見えないのですが、このように表現されると自分の全人生というものを賭けたいかに大きな選択だったのか分かります。

[家族の歴史について語るベルのモノローグ]
「家族の歴史ってやつには本当のことでないこともよくあるのは知っている。どこの家族でもそうだ。話が語り継がれるあいだに真実が見逃される。諺にもあるとおりだ。このことの意味を真実は負けるもんだと受け取る人間もいるだろう。だがおれはそうは思わない。嘘が語られて忘れられたあとに真実は残るはずだと思っている。真実はあちこち動きまわったりその時々で変わったりしない。真実を腐らすことができないのは塩を塩漬けできないのと同じだ。腐らすことができないのは真実とはまさにそういうものだからだ。」
原作小説では各章毎にベルのモノローグが入るのですがその中でも印象的だった文章を抜粋しました。時代の変化に困惑し厭世的なぼやきが多いですが、経験に裏打ちされた自信があって力強さもある不思議な魅力を持った語りです。

[シガーがカーラ・ジーンと対話するシーン]
「あなたはどのみち見逃してくれなかったんでしょ。」
「そのことではおれに発言権はない。人生の一瞬一瞬が曲がり角であり人はその一瞬一瞬に選択をする。どこかの時点でおまえはある選択をした。そこからここにたどり着いたんだ。決算の手順は厳密だ。輪郭はきちんと描かれている。どの線も消されることはありえない。自分の念じたとおり硬貨の表裏を出せるなんてことをおれは信じない。なぜそんなことができる? ある人間が世界の中でたどる道はめったに変わらないしそれが突然変わることはもっとまれだ。おまえのたどる道の形は初めから見えていたんだ。」
シガーの運命論が垣間見える文章です。シガーがもたらす死という結果はコインの表と裏のどっちが出るかといったような偶然の積み重ねによるものでもあり、殺される人間自身が積み重ねてきた選択の結果でもあります。「決算」という言葉には「あの時ああしていれば」という一つの選択だけではなく、すべての選択を合わせた結果だと言い含めるようなニュアンスが感じられます。

映画の疑問点に対する原作からの解答
ここからはぼくが映画を観た時に疑問に思ったことを原作を通じて解答してみようと思います。

カーラジーンは果たして殺されたのか?
モスが殺されたあとシガーは未亡人になったカーラに会いに行きます。そしてカーラを殺すとモスに約束したと言います。カーラは信じずその行為は無意味だと説得しますがシガーは聞き入れません。それでも無意味だと言い続けるカーラにシガーはコイントスを提案して表か裏か問います。映画版ではカーラがどう答えたかは分かりませんし、その後どうなったのかも省略され分からないようになっています。僕の解釈ではカーラはコイントスをして当たりを引き、生き残ったんじゃないかと思っていました。理由はその後のシーンにパトカーのサイレンが聞こえてくるのですがカーラを殺した後発見されて通報されたのだとしたらあまりにも早すぎるように思ったからです。生き残ったカーラが通報したのだと考えた方が整合性がある気がしました。では原作小説ではどうでしょうか? 小説ではカーラは表と答え、裏が出たためにシガーに殺されてしまいます。映画版では表か裏か答えないカーラに自分のルールをねじ曲げられて戸惑っているようにも見えましたが、その程度のことでは動揺しないのがやはりアントン・シガーという人間のようです。このように書かれてるからには原作に忠実な映画版もやはり殺したと解釈するのが良さそうですね。

なぜシガーは交通事故に遭ったのか?
カーラに会ったあとシガーは車を運転してその場を離れます。バックミラーで自転車に乗る子どもを確認した後、交差点を直進しようとします。すると横から車が飛び出してきてシガーの車にぶつかります。大怪我を負ったシガーは子どもから服を買い取り応急処置をした後子どもに口止めをして現場から離れます。その後どうなったかは分かりません。映画版ではシガーが先ほど述べたカーラの件で動揺して横からくる車に気づかなかったようにも見えましたが実際のところどうなのでしょうか?
小説版ではぶつかってきた車の詳細が書いてあり、一時停止の標識を無視した、ブレーキをかけようともしなかったとあります。また、別のシーンで「おまえはじぶんがすべての外にいると思っている、だがそうじゃない」と言われシガーは「すべての外にはいない。そのとおりだ。」と答えるシーンがあります。この二つのことを合わせて考えると思い通りにならなかったことに動揺したシガーが引き起こしたヒューマンエラーではまったくなくただの偶然の事故で、メッセージとしては超人的なアントン・シガーといえど世界のルールからは逃れられず偶然の出来事、不慮の事故を避けることはできないことを示すためにこのシーンは描かれたと考える方が良さそうです。

『血と暴力の国』の紹介は以上です。映画と同じく原作も魅力的な作品なので良かったら読んでみてください。

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