戻りたい日があることによって、今の私は出来てるのかもしれないな。
今日は母の命日。もし、願いが一つだけ叶うのなら一年前の昨日に時を戻して欲しい。母の声が聞きたい。母に会いたい。話したいことたくさんあるのにな。なんて思う今日は母の好きな花を買って帰ろうと思う。
今日のnoteはちょっと重い。読みたくない人は読まないことをお勧めします。笑
わたしの気持ちの記録して残させて下さい。
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世に言う「母親」を見るたびに「母」を思い出すし、「お母さんがね……、」という何気ない言葉でさええぐられるように心は乱れている。でもそれは辛さじゃないんだよ。
「〜すればよかった。」過去のわたしの行動を悔いているだけ。ただ、それだけ。どうにも変わらない過去に囚われていても仕方がない。と思って生きている人だから、わたしは「今を」「これからを」、今のわたしのように悔いることを出来るだけ少なくできる人生を送くれるように過ごしている。
平気な顔で母の話をするわたしを、みんな悲しそうな顔をしてこちらを見ている。
そんな顔を見るたびに「わたしは可哀想な人」と思われているんだな。とひねくれて思った時期もあった。けど。
こないだね、まだ出会って間もない、ちゃんと話すのむしろ初めてくらいの人に、母の話をした。なんでだろう。たぶん法事を控えていて母のことを考える時間が多くなってしまったからだろうな。
途中…わたし何話してんだ?なんて話をほぼ初対面の人にしてるんだ。と我に帰った。ただね、その人は……うん。うん。とうなずき今にも泣いてしまいそうな顔をしていた。
ただ、それだけだった。いい意味でほかの感情は伝わってこない。わたしの話を聞いてあなたはいったい何を感じたのだろう。と不思議におもったばかりだ。
悔いても仕方がないのだ。もう過ぎた時間は戻ることはない。
会いたいと思うこともあるよ。まだね。全然ある。ふとした時に「あ、お母さんに……ってなる。」
その度に現実を突きつけられるけど、いるんだ。まだ、わたしの中に、父の中に、弟の中に、妹の中に。母の生きた証は、母と関わったすべての人の心の中にちゃんとある。それで十分。
母が亡くなって一年がたったイマ、びっくりすることに一年前より楽しい人生を送っている。
一年まえの出来事がなかったら、きっと今の私は存在しないだろう。
大好きだった母を亡くして、立ち直れないほど心がズタボロになって、腐ってるとおもった。でも違った。
肩を貸してくれる人がたくさんいた。手を引いてくれる人もいた。おかげでヘコタレずにすんだ。がんばる力をたくさんもらった。本当に周りに恵まれた人生だ。とおもったな。。。
ねぇ、お母さん。そっちはどんなだい?
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