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「"すき"と"応援したい"の違い」を考察する。

2023.05.29、I to U $CREAMing!!(以下アユスク)の有未りんさん(以下りんちゃん)が、こんなツイートをしていました。

俺自身は、好きなアイドルちゃんたちのことは"応援したい"と思っています。
個人的には、"応援したい"のほうが"好き"よりも気持ちは強いと思っています。
この時点で、りんちゃんのツイート内容とは逆ではありますが。
このツイートを見たときから、なんかずーっと頭の片隅にあったからいろいろ考えていて、ここらで一旦アウトプットしようと思ったわけです。
あくまで、俺が思ったことなので、りんちゃんがどう思ってるかまでは不明です。
その点、よろしくお願いします。


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こんな序盤に貼るのには、ワケがあります。



【"好き"と"応援したい"に違いはあるのか?】

件のりんちゃんのツイートを見たとき、「うーん…"好き"の先に"応援したい"があるんじゃない?」ぐらいに考えていました。
しかし、よくよく考えていくと、明確に違いがあることに気付きました。

俺から湧き出てくる"好き"という気持ちは、かなり広義で「好ましい」という意味です。

つまり、例えば「アイドルちゃん好き!」という気持ちと、「エル・デスペラード選手(プロレスラー)好き!」「東京03さん好き!」に変わりがないのです。
もっと言えば「コリドラス(熱帯魚)好き!」とも変わらないし、なんなら「スナップえんどう好き!」とも変わりません。
唯一違う"好き"を挙げるなら、(恋人がいる場合は)恋人に対する"好き"だけですね。
「恋人との時間が2時間足りない?ふーん、じゃあ睡眠時間2時間削るわ」という対応を軽率にしてしまう、ダメ人間製造機おじさんなのでね。ウッ…頭が…

それを、"応援したい"に置き換えたときに、違いに気付いたワケです。
「スナップえんどう、応援したい!」
ちょっと心配になります。
早急に専門家に診せたほうが良いです。
一方で、「エル・デスペラード選手応援したい!」。
これは大丈夫です。

つまり、"好き"という気持ちは、あらゆるコンテンツに対しての好ましい感情ということが言えるようです。
同時に"応援したい"は、対象が"好き"よりも限られるとも言えます。

【"応援したい"を掘り下げる】

では、"応援したい"とはなんぞや?となりますね。

それを考えたとき、真っ先に「対象の不完全さ」である可能性が浮かびました。
例えば、GLAY。
誰もが知っていると言っても過言ではない超有名なバンドですね。
GLAYを"応援したい"って、ちょっと違和感がありませんか?
これが、L'Arc〜en〜CielでもX JAPANでも同じ違和感があります。
そこで、対象の不完全さという可能性を考えたのですが、プロレスラーに置き換えたときに、これは違うぞと思いました。
というのも、新日本プロレスのトップとして君臨していた頃のオカダカズチカ選手。
そのファンって、"応援"していたと思うんです。
チャンピオンになろうが、G1制覇しようが、です。
ということは、対象の不完全さにより応援したいという気持ちになる説は否定されます。
このことから、"知名度"や"実績"との相関性も否定できそうです。

ただ、延長上かどうかは別として、"応援したい"という気持ちは、"好き"という感情の中にあるような感じがしてきました。

ここで、「じゃあ逆に"応援したくならない人"ってどんな人だろう?」と考えてみました。

【"応援したくない人"とは?】

…嫌いな人、ですかね?

結論から言いましょう。
頑張ってない人です。

頑張ってるかどうかなんて、他人が決めることではないかも知れません。
それでも「誰が見たって頑張ってない」という状況は存在すると思います。
授業中は騒ぐか寝てるかで、試験勉強はせず、ただただ遊んでいた人のテストの点数が15点だったとします。
その人が「頑張ったのにダメだった…」とか言ってたら、それはもうお仕置きじゃないですか。

お仕置き

極端な例ですが、やはり「誰が見たって頑張ってない」という状況は存在すると思います。
これが、「授業は真面目に受けていた」とか「寝ないで試験勉強していた」とかだと違うんですが…

応援したくない条件がもう1つ。
人間味がないというか…要するに、嫌な奴だった場合。
これは、俺自身が好き嫌いが極端すぎる性格だからかも知れません。
嫌な奴はどんどん失敗して地獄をみてほしい!
でも、いけすかない奴って、許すことはできても"応援したい"という気持ちにはなりにくいと思うんですよね。

【"応援したい人"とは?】

前項の逆がそのまま"応援したい人"になります。

①頑張ってる人
②人間くさい人


この2点を満たした人ではないかな?と結論づけました。

この条件であれば、常にトレーニングをしていて、試合以外にも人間ドラマを繰り広げるプロレスラーを応援したい気持ちの説明がつきます。
超有名バンドは、ある意味概念に近いため人間くささが薄まっているので、②の条件を満たしていない="応援したい"という表現に違和感が発生する、となります。

それではここで、肝心のりんちゃんの場合はどうでしょう?
まず、アユスクちゃんはセルフプロデュースということもあり、相当多忙であることが容易に想像できます。
よって、①頑張ってる人に該当します。

次に②人間くささ。
詳細は書かないほうが良さそうなので書きませんが、アユスクちゃんはステージのイメージと違って、かなり人間くさいと思います。
その片鱗が見えるのが、「butterfly」の歌詞だと思って、冒頭に貼ったわけです。
こう…重いというか……たまにちょっとこわいというか…www
新潟帰りのツイキャスで、7様はさも自分は違う、りんちゃんが怖いみたいに言ってましたが、アユスクちゃんは2人ともそういう闇みたいな部分が滲み出ちゃってる気がします。
いや、いいんですよ、重いぐらいのほうが(クッソ遠い目)

【まとめ】

"好き"というのは感情であるのに対し、"応援"となると何かしらの行動を伴うはずです。
ライブ会場に足を運ぶのも行動ですし、情報の拡散なども行動です。
ただ思うことよりも、行動を伴うほうがハードルは上がります。
よって、りんちゃんは"好き"の上位互換である"応援したい"を得られていると思います。

りんちゃん本人も自己完結したようですが、りんちゃんラヴァーズの方々は、"すき"だから応援してるということですよね。

…ただ。
最近いろんな人に白状し始めたんですが、俺自身は自分への好意(恋愛的な意味以外でも)を感じ取るアンテナがぶっ壊れています。
なので、もっとこう…「目に見えない"感情"というものを確認させてほしい」という意味であれば、ちょっとわかるなぁとも思いました。
それは無理なので、結局は言動で判断するしかないんですけどね。

散々展開した結果、ぱっと見は「"好き"の延長上に"応援したい"がある」に戻った形になりました。
自分の中では、一旦考察したことで解像度が上がったので、そこは満足しています。


しかし、俺がどうしても越えられない壁があります。

"推し"という概念がわからない。


以上
今回はこの辺で!
(*°ω°*)ノ

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