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7月終わりの日

もう、今日は7月、最後の日。
今月も、一昨日だったか、「詩と思想9月号」が届いた。
もしも、もう届かなかったら、すごく寂しい思いをするのだろうなぁと、なぜかふっと思った。詩人会議も、現代詩手帳も購読したことはあるけれど、わたしと詩の生活には結びつかなかったような気がしてならない。わたしの中で、詩との交流が始まったと感じたのは、だれがなんと言おうと「詩と詩想」の歩み(大げさかも)とともにある。いや、そのころ編集長をしていた、一色真理氏との出会いのお陰と言っても、過言ではない。なぜかと言えば、その関係は今も継続、詩の師と仰いでいる。時折、どうしてそんなに苦しめるの、と、特に、詩集出版の終盤にかかるころ逃げ出したくなるような体験に出合う。そんな時は、じっとじっと絶えて、少しだけ誰かに愚痴って、、その頃はもう我に返るに近いころなのだけれど、その時期の過ぎ去るのを待つのだという付き合い方(私自身との)も会得した。こんなに、わたしを苦しめているなどと、当のご本人は全然気がついていなくて、わたしの一人相撲に過ぎないのかもしれないと、なんだか可笑しくもなる。そんな私に、このごろ、若い詩の先生との出会いがあった。ナナロク社さん主催のオンラインを使った、三角みづき詩の教室に参加させていただいたからだ。そして、さる29日の水曜日は、その第3回目、三角みづ紀、詩の教室最終回だった。事前に、一人2篇まで投稿が許されていて、その中の1篇だけに最終回
のその日、三角先生から、添削、アドバイス感想などを聞くことができるのだ。今思うと、その日までに50篇近くの詩を読み、その半数の詩に、添削を加えアドバイスと感想をのべてくださるのだから、そのエネルギーの消耗は想像できる。彼女は、投稿2篇の詩で、まだお話もしたこともない、私を、いや、参加者全員、を丸のみにして、今頃は動けないでいるのではないだろうか。周りの見えない不思議な教室。参加申し込みには結構勇気が必要だっ
たけれど、一片の体験だったにしても、本当に良かった、よかった。そんなほっとした、気持ちい包まれていたら、モノクローム、プロジェクトの一色さんから、装幀のことや、出版部数のことや、寄贈者名簿のことやら、いろいろ問われたり、答えたりしているのだが、メールでは間に合わなくなって、、一色先生との、受話器とメールを同時に操りながらの時が 生じたりして、もう目が回る回る日々。はじめての、カバの本籍出版の時のことを思う。こんなに大変だっただろうか、と。最近買った数冊の本も、詩と思想9月号も、まだ開いていない。昨夜も、寝る前にと、パソコンあけたのが、まずかった。その中の一つ、装幀のことをあれこれ考え、気持ちを伝えようとメールを書いていたら、もう、今日の朝だった。パラパラ雨のふったりした、暗い空だったけれど、夕方の今は、青空に白く雲は浮かんでお日様が、団地の建物を半分ぐらい照らしている。もしかしたら、梅雨、明けたのだろうか。珍しく、さっき、鵯が鳴いていた。

  

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