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kayoちゃんのお供で千葉大学付属病院へ

昨日のことになるのだが、予約が、午後1時頃だったので、家を出るのが、気温の上昇した10時ごろ。バス停についてから、エアコンを止めるのを忘れたことに気づいて、でも、そのままでも大丈夫だよ、と言ったのだったが、次のバスでも間に合うからと、かよちゃんが戻って、やっぱり、つけっぱなしだった、と、汗いっぱいかいて戻ってきた。そのあとは、スムース。電車で、今まで、体験した事なかった、席を譲って頂くという行為に、往復遭遇。行くときは男性だったので、恐縮してかけさせていただいたのだけれど、帰りは若い女の方だったので、「お疲れでしょう。」と言ったら、大丈夫ですと言ってくださったので、また、遠慮なくかけさせていただいた。
今日になって、ねぇ、どうしてだと思う、と昨日のことを、kayoちゃんと検証し合ったのだけれど、いい人に巡り合ったんだね、という意見で一 致した。もう一つ、そうかも、と言う意見も出たのだけれどそれは、伏せて置くことにしよう。(笑) お盆でも、病院は相変わらず人人人。入り口で、備え付けの消毒用液体で手を消毒する。MR検査受けるため、控え室で待っていると、同時に3人の名が告げられた。本人も、え、と思ったらしいけれど、すぐに3人別の部屋に入ったんだよね、だから、今は、MRの機械、3台はあるんだね、部屋も、6番(?)まであったからMRの機械もっとあるのかしら、などと、前回も同じところだったのに、昨日は、気持ちにゆとりがあったのか、そんなことも話題になった。ね、あの頃は、MRだから、食事ぬきよ、って言われて待っていると、機械が壊れたんですって、少し遅れるかしらね。って、随分お腹すかせて待っていた時のことなどを、鮮明に話ていた。他のことも、今までは一緒の部屋で過ごしたお友達のことや、それぞれに違った、主治医の先生のことなど、忘れたようにしていたけれど、昨日はあれこれよく話していた。今までは、あの頃のことを、思い出すのがいやだったのかもしれない。と、やっと気づいた。30年も過ぎて、すっかり忘れてしまっただろうにと思う、あの頃のことを、やっと話せるようになった。それは、子供のころの体験も、大人になってからの体験と、同じなのだ。手術と、転移を防ぐための多量の放射線療法、それによって、今も、あの頃からずっと繋がっている命。今になって、だんだん現れてきた、くる、放射能療法による、後遺症を、あれこれ強く語れない。のだけれど、なんとかなったら、何とかしたいと思うのが普通である?。MR検査終了後岩立先生の診察。 小脳にできたガンの執刀医の岩立先生から、手術前に言われたことが忘れられない。1ミリでも違ったら、手などに後遺症が出ることもあります、細心の注意を払って臨みますが、と話された時の言葉だ。幸いにその後遺症も免れたのだ。当時の状況を一番に知っているのは、本人と主治医の岩立先生と、あなたの3人だ。

先月も、今回も、診察室に入ると、kayoちゃんの口からあふれるように言葉が飛び出して、わたしはあっけにとられるばかりだった。もう、何回となく繰り返されてきたこと。何か困っていることない?。と聞かれても、わたしからすると、たくさんあっても、本人は、有りません。と答えていた。それだけ、強く、頑張ろうと思っていたのだと思う。それが、最近疲れやすくもなり、たしかに忘れやすくなってきたのだろう、家では気づかない、ミスを職場で繰り返してしまうのだという。それをとがめられると、悪循環は良く分かる。がんばる人に仕事が集中する。それはいじめに似た行為と思う。そんな状況が続いていたようだ。以前はよく話してくれていたのに、最近は、わたしも、いつも下を向いていることが多かったので、気づいてあげられなかったのだが、心配かけると思って、黙っていたのでと、今日になって話してくれた。先月、病院に行った時、そのことを、それらしくなく、I先生に訴えていたのを思い出す。そして今回は、そのことに、周りの人達が気づいて下さって、改善されるだろうことまでこぼれるよに話しているのには、驚いた。先月だったか、5年ぶりぐらいに岩立先生とお話してから、だんだんそれまでとは違ってきていた。なんの治療も受けないのに、お会いして診察受ける(お話する)だけで、だんだんと、こんなにも明るくなれる、不思議さ。先生の手に魔法の仕掛けでもあるのではないかと思うほどだった。いつ来てもいいからね。そんな心強い助っ人を得て、なんとかなるよ、と言いながら暮らしていた日々に、希望と言う文字が浮かんできた。
 
 


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