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えんじ色の手帳より(1989年11月16日・金)あの日から10950日経過。

午前中・10回目放射線治療。午後・初回インターヘロン・その後、熱39,5度・嘔吐・筋肉痛。(パパ出張帰り立ち寄る)

術後1か月。放射線治療も10回目。他に週1回のインターヘロン注射による投与の始まった日。照射にはだいぶ慣れてきたものの月曜日から5日連続の金曜日は1週間のうちで最も倦怠感のあらわれるのが金曜日。その日は、インターヘロンの注射による投与も初回目の日だった。そのころは、インターヘロンが使われ始めた頃で、注射後どんな症状が現れるのかも把握出来ていなかったのか、その夜は高熱と嘔吐と筋肉痛で、 真夜中まで苦しんだ。筋肉痛に加え、痙攣が起きたように両足ををピョコンピョコンと宙に高くもたげるので、そのたびに布団の上から覆いかぶさっていた。
(小児病棟の母子センターへ入院、母親の24時間同室が許可されていた。)
 
あのころ、私たちに、今のような今日があるだろうと想像しただろうか。そんなこと、思い悩む時間もなく毎日を必死て生きてきた、そんな気もする。今日、君は出勤日。あの日から10950日生きてきた母は老いてきて、11歳だった君に100950日を加算すると、あの頃の母は、今、君の二人のお姉さん達と同年に近い計算になる。
こんなはずじゃなかった人生。でも、これまでとこれからを合わせてが人生。これまで雨の多い人生だったにしても、まだ、これからの人生がある。これからの人生は、晴れの多い人生になるだろうか。(あのころのみんなの課題)


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