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鈍感な小悪魔

茨城県北部に住む姪から今年も栗が送られてきた。
今年は届きませんように、と心の中で念じながらいたはずなのに、届くと、訳もなくあったかな気持ちになる。いかに、気持ちとはいい加減なものだかが証明される。お陰様で、寝むけも気だるさも他すべてのことを返上して栗と向き合う。栗ご飯には、茶わん蒸しがかかせない。1日目は、栗ご飯に使う分の栗の皮をくりくり剝ぎ渋皮をくりくりむく。もうその辺でかなり疲れるのに、茶わん蒸しを献立に加える。しかし、そんな面倒な気持ちにさせるのは、栗を拾って義叔母さんにも送ってあげようという義甥の優しさを感じるからに他ならない。ありがとう。と、姪にメールをすると、拾った人に伝えておきます。と返信が届くのがその逸話ざる証拠。あぁ、中学校の教頭先生が拾ってくれたんだ。とわたしはもったいない愛を感じる。愛は、ボールいっぱいのむき栗を生む力を難なく与え、あぁ、今年も出来た。という活力を老人に植え付ける。さすが、教頭先生とうなる。いや、数年前は教頭先生ではなかったはずだから、姪のご主人のあいなのだ。栗むき作業は指先運動。お正月用の栗きんとん用にもとは認知症予防。この愛こそ愛の無知。

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