明け方見た夢

誰だったかのお見舞いに、誰だったか女の人と二人でか行った。そこは千葉大学病院なのだが、今工事中で玄関前が大きく削られていて、玄関までいくのには、いまにも崩れそうな砂の山を上っていかなければならない。意を決して上り始めて、もう一歩のところで滑ってしまい庭池のようなところに落ちてしまった。そこに、男の人が二人飛んできて池から引き上げてくれたのだけれど、一人がふみこおばさん死んじゃいやふみこおばさん死んじゃいやって泣きじゃくりはじっめた。おどろいて、大丈夫よ、と言いながらその方を見るとその声は柔らかな子供用の毛布のなかからで、覗くと大人なのだけれどとても小さな男の子がその毛布にくるまれていて、大丈夫よ、と言って抱っこしようとしたら、だんだん小さくなって見えなくなって、、そこで目が覚めた。
夢をみるまえ、昨夜は、明かりをつけたまま眠ってしまっていて、気がついたら今日が始まっていたのだ。ベランダに出てみると、雨はやんでいて藍色に紫がかった明るい空に星もお月様も見えない裸の木の枝が伸びて見えるだけの静か~な夜だった。
このまま本でも読もうかな、と思ったけど、またお布団にもぐりこんで、眠るまでの間、何の歌だったか口ずさみながらいろ~んなことを回想していたことまでは覚えている。例えば、子供のころ飼っていた猫のこと。なまえは白と黒のぶちだったのでブ~~ちゃん。ブ~ちゃんは近所で生まれた子猫をもらってきたのだけれど、その時、お豆腐をお礼に持って行ったなぁ、とか、キャットは三毛猫でぶ~ちゃんの子。いつもお母さん猫と一緒なのでいつまでたっても子猫で、高校生の時「愛猫」ってタイトルで作文書いて、その年の文集に載ったのを思い出した。どうして、大事にしておかなかったのだろうと思うけれど、後の祭り。ブ~ちゃんとキャットが死んだのはその翌年の春ごろだった。ネズミ捕りの不得手なブウ~ちゃんが、どこかで猫いらずを食べて死んだネズミを、キャットと一緒に食べてしまったのだ。その時のわたしをみて、母が「お母さんが死んだ時より、悲しことなのかもよ」と言った。中学校も同じで同じ高校へ毎日同じバスで通った山野さんの書いた「サルビア」という作文も同じ文集に載った。真っ赤に燃えるようなサルビアを作文にかいた彼女は、わたしとは違うしんの強さと情熱を隠し持っていた才女。たしか、住んでいたのは中野区だったはず。それは今、思出したことなのだけれど、夢を見る前に、そのほか、甥たちが子供のころ飼っていたのは猫ではなくいぬだったよなぁ。でも、実家の甥T君だけは、こどものころ動物を飼ったことはない代わり、大人になってから、のらネコちゃんを飼って、それは今でも続いているらしいことなど。そんなこんなを回想しながらいつのまにか眠りについてみた夢が、先ほどの夢。夢は無意識に心に思っていることが現れる心像ともいわれるけれど、久々に見た夢に、たしかに、などと思った朝だった。
今日はかよちゃんがお休みなのでなんとなくのんびりした時間に、カーテンを開けると、止んでいたはずの雨が、降っている。結露がすごい。


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宮内 文子
11月25日 20:25 ·

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