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詩集「母の詩(うた)」みやうちふみこ

「みやうちみこ詩集、母の詩(うた)」(モノクローム・プロジェクト)の刊行がは、10月1日だから、あれからかれこれ10日余りが過ぎている。校正を繰り返しながら、どうか間に合いますように、と祈っていた、母方の従兄は、9月10日昇天。間に合わなかった。急ごうとするたびに、「早く完成させるより、優れた作品を完成させた方が、従兄の方だって喜ぶんじゃないの」と一色先生に促されながら、前詩集「カバの本籍」と同時進行させていた原稿に、再度向き合ったのは、今年の元日からだった。それから間もなく、予想外のコロナ禍に。原稿に向かう日々だったわたしには、病院に2か月に一度お薬を貰いに行く時以外は、マスクも3密も余り意識しないで済んだのだけれど、その頃、週2日でも出勤していたKayoちゃんには、「うるさいよ。」と、言われるぐらい、手洗い、マスク、うがいと、言ってきた。それらは、なお、今も続いている。

その『詩集・みやうちふみこ「母の詩(うた)」』のことなのだけれど、今日、朝早くFacebook、をのぞいたら、凄いことが起きていたのだ。山田謙士氏の投稿に、みやうちふみこ詩集「母の詩(うた)」の書評を投稿してくださっていたのだ。二人の姉からは、出版以前からからソッポを向かれ、義姉のOKだけを味方に強行した出版だった。(一色先生には、その件で確認された時、大丈夫です、と応じていた・・ごめんなさい。)上の姉からは、献本が届いたとの連絡さえもない。でも従兄妹たちの、偉いねとか凄いとか懐かしい、、とかの祝福をも含むお誉めの言葉は、早々に届いていた。でも、どこか頼り気なく、こそばゆくもあって「あぁ、どこかに消えたいなぁ~」と思っていたこの頃だったけれど、ぼつぼつと、読みましたよ、~と、感想寄せてくださる他者の方たちに励まされ支えられ、なんとか消えないで過ごしていられたというのが本音。そんな暮らしの中、今朝早く、みやうちふみこ詩集「母の詩(うた)」の山田氏の書評をネットで見つけた時のドキドキした気持ちは、私宛に届いたお手紙の感慨とは少し違った。今まで、経験したことがなかったからも知れない。

ここに2008年発行の2冊の詩誌がある。交野が原(KATANOGAHARA)84と85だ。どうして手元にあるのかは記憶に遠い。「山田謙士」のお名前は、この2冊の詩誌に掲載されていた作品を読んでうすうす記憶にあったのと、その山田謙士氏が、後に、第21回小野十三郎賞を受賞した、詩集「ストークマーク」(モノクローム・プロジェクト)の著者、犬飼愛生さんの大阪芸大の恩師で、受賞にあたってだったか、彼女のことを、書いた文章が記憶にあって、多分、Facebookのフレンド申請をポチしたのが縁だったと思う。そのころ、孫の背、とうシリーズで写真を投稿していらしたので、それにつられるように日々楽しみにポチをしに訪れるようになっていたのだけれど、いつのころからか、ぱったりFacebookでの投稿に出会うこともなく、かといって、余り気にすることもなく過ごしていたある日、入院していました。見たいな投稿に出会ったのだった。ただ、それだけなら、そう気にもならなかったはずである。だって、現、大阪芸大の先生と伺っただけで、私は引いてまうに決まっている。でも、そのご病気が、二人の甥と、同じ病名だったことから、とても気になって、つい、近くで、うろうろする様に成ってしまったのだ。順調な復帰のお姿を拝見するにつけ、先に倒れた甥の弟の方が、一年余りで復帰を果たし、東京へ出張するまで元気になって、再び倒れて・・。そのことがあるので、余計気になって仕方がないのかもしれない。ただ、山田氏の場合、復帰に向けてのリハビリにおいても、家族のサポートも、万全であることがとてもまばゆいほどだから、心配なんていらない。また脱線してしまったけれど、今日再び、2冊の詩誌を開いて、また、びっくりしたのだ。偶然は重なるものです。山田氏の娘さんご夫妻が、以前、横浜に暮らしていたことは、氏の投稿で読んで知っていた。でも、どの辺に暮らしていたのかしら、位の興味だった。しかし、詩詩85に出ていた、「春の手のひら」を再度読むうちに「娘と婿に連れられて のぞみに乗って 京浜急行に乗り換えて家族3人の新居へ、」 とある一節に出会って、はっとしたのだった。そこは、「八景島」ではではないのだろうか、と、ふと思ったのだ。それも、昨日だったか今朝だったか、やはりFacebookフレンドでもあり、「詩と思想」の編集委員でもある、長谷川さんの、八景島行きを事前にアピールするよう、いつもと違うなぁ、と感じる投稿に出会ったり、、八景島駅周辺の写真を投稿、八景島は風光明媚なところです。と、これまた、普通ではない、(と感じた)アピールの仕方にに、なにか気になるものを感じながいて、何気なく本箱の棚から「交野が原(KATANOGAHARA)84、85」を出してきて読んだという成り行き。となると、もしかしたら、山田氏のお孫さんと、甥の3男「しゅうへい君」(だったかと)とはお友達だったかもしれない、なんて想像してしまうから、過剰になってしまうのだけれど、長谷川さんの、金沢八景の風光明媚さは、山田氏の、今のお住いと、山と海との違いはあっても、うなずける。、、。話題とんでもない方向に及んでしまったけれど、話と話を繋げて来たらこんなことになってしまったとゆう経緯。これらが、事実なら、世間は広いようで、本当に狭いと言えるかもしれない。

最後に(お断りするのまだなのですが)下記に山田謙士氏の書評を引用させていただきます。「みやうちふみこ「母の詩(うた)」(モノクローム・プロジェクト)老母を亡くすまでの日々の出来事を中心に散文で綴った介護日記だが、その都度の感覚や感情が繊細に描かれていて、詩の様式を整えている。登場する多くの人物(主に家族)の群像は、これが一家の記録・歴史であることを告げている。」(ここまで「」の部分が引用させていただいた部分です。)

夕焼けがとってもきれいです。これから帰ります。との、Kayoちゃんからのメールは、つい先ほど読んだ。




















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