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ひょっとするとアズカバンの囚人はタイムリープものの最高傑作なのでは?

 久しぶりにハリー・ポッターとアズカバンの囚人を見た。当初は久しぶりの予定ではなかった。というのも私は勝手に初見だと思い込んでいたのである。そしたら違った。風船おばさんとかディメンターとか人狼とかデジャヴデジャヴ。エクスペクトパトローナムで沢山のディメンターを蹴散らすとことか、ラスト箒で飛んで止まるハリーとか特にデジャヴだった。すっごい既視感なのだよ。
 それなのに話の内容はまるで忘却。シリウスとかルーピンとかペティグリューの顛末は素直に驚いた。よくこんな衝撃な話を忘れられたな。

 そうしてタイムリープの場面でも私は素直に驚かされた。脆弱な記憶力。伏線がどんどんと回収されていってこれぞカタルシス!といった感じだ。この読後感というか鑑後感は中々素晴らしいものがあった。

 タイムリープものをいろいろと見てきたが、その中で1番といっていい程満足できたかもしれない。多少のエモさを感じていて、鑑後感により磨きがかかったこともあるが、やはりこの映画は良い。それはなぜかと考えた時、他のタイムリープものは事前にタイムリープものだと分かっていて、タイムリープものという枠組みの中で見られた。よってある程度の予想がつき、序盤の不可解なシーンはタイムリープしていろいろあるんだろうね、とこちらも構えることができた。しかしハリー・ポッターとアズカバンの囚人はタイムリープするなんて思っておらず、後半の唐突なタイムリープでななななんだってぇとなる。あのシーンはなんだったんだ、他にも隠れた登場人物がいるのか?とか思っていた箇所がタイムリープで解決、うひゃあ、じょぼじょぼじょぼ、となるのである。

 そういうことで見事策略にハマった私はアズカバンに収容されるしかなくなったのである。あーおもろ。

閲覧ありがとうございます。サポートなんてして頂いた日にはサンバを踊ろうかと思います。