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「周りと比べるな」 瀧澤諒斗

 今回noteを担当させていただきます1年法学部法律学科の瀧澤諒斗(タキザワアキト)といいます。ポジションはFWです。拙い文章ですが最後まで読んでいただけたら嬉しいです。



〜経歴〜
エンデバーFC 
       ↓ 
柏レイソルA.A野田
       ↓ 
敬愛学園高等学校
       ↓
亜細亜大学



「周りと比べるな」



突然ですが、皆さんは今までの人生で周りと比べたことはありますか。


 
「あの子は運動も勉強も出来てイケメンでかっこいいのに、それに比べて俺はなんもないなぁ…」



みたいな事が一回は経験したことがあるのではないでしょうか。



僕もこれまでの人生で周りと比べる事はよくありました。特に僕は生まれつきの感音性難聴で耳が聞こえにくいです。小学校ぐらいの時まではそんなに耳のことは気にしていませんでしたが、中学2年ぐらいになると耳のことを気にするようになりました。
そして高校でもずっと気にしていました。



「あいつ滑舌悪くね」
「何言ってるかわかんない」



これらの言葉はこれまでの僕の人生で散々言われてきた言葉です。



小学生まではなんも気にしていなかったのでのびのびと自信持って自由にサッカーしてきましたが、中学からはなかなか自分に自信をもてず、試合で自信持ってプレーすることがあまり出来ませんでした。そのため、僕は耳のことを高校2年までいつも気にするようになっていました。



そんな時でもいつも僕を支えてくれてたのは両親でした。両親はいつも僕が耳のことやサッカーのことで悩んでいる時に「あきとが誰よりも努力してる事は知ってる。だからもっと自分に自信持ちなさい」と励ましてくれました。そのおかげで僕は自信を少しずつ持てるようになりました。
高校3年になるとデフサッカー日本代表候補にも選ばれるようになりました。デフサッカーというのは聴覚障がいを持っている人たちのサッカーのことです。日本代表の皆さんの中には僕と同じような辛い経験をしてる人が沢山いました。
それを見て辛い思いをしていたのは僕だけではないんだなと勇気づけられました。それから僕は世界一のデフサッカー選手になるという目標ができました。その為にはフィジカルも必要なので、高校3年からは筋トレにも力を入れました。おかげで、体重が10キロ増量する事が出来ました。サッカー部や地元の友達にも「あきとゴツくなったな〜」って言われるようになり嬉しかったです。



そして今年の4月から初めて親元を離れ、一人暮らしを始めました。初めは不安でしたが、今はもう慣れてきました。大学生になってから洗濯や料理などを自分でやるようになり感じた事があります。それは家族がどれほど自分にとって大切な存在なのか改めて感じました。毎日栄養バランスの整った美味しい食事を作ってくれたおばあちゃん、毎日お仕事が忙しいのに、夜遅くまで洗濯干してくれたお母さん、自分の夢を見つけて必死に頑張って俺に勇気を与えてくれる兄貴、そして僕が大学でサッカーをやる為に必要なお金を負担してくれるお父さんがいるからこそ今こうして楽しく大学生活を送れています。
ありがとう、家族のみんな。



サッカー部ではレベルの高い人達が集まっており、毎日質の高い練習をする事ができ、とても充実した生活を送ることができています。
僕はまだまだ課題だらけで下手くそなので、これから亜細亜大学のサッカー部で4年間しっかりサッカーを学び、成長していきます。
そして将来は世界一のデフサッカー選手として有名になり、世界で活躍していけるサッカー選手になります。



拙い文章でしたが最後までお読み頂き、ありがとうございました。これからも亜細亜大学サッカー部のご支援、ご声援のほどよろしくお願いいたします。



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