「山道の頭の中」 山道大地
こんにちは。今回noteを担当します。国際関係学部多文化コミュニケーション学科の山道大地(やまみちだいち)です。
僕のnoteを見たいと思う人はいるのでしょうか。恐らく見てくれるのは身内だけだと思いますが相当な物好きな人やなんらかの事故で僕のノートを開いてしまった人が出てくると信じて張り切って書いていこうと思います。
ただ長々と自己紹介されても退屈だと思うので普段自分の考えていることの中の一つである「選択」について自分の考えを経験を入り交えながら書こうと思います。
人間は1日に3万5000回「選択」するそうです。
僕はそんな量の「選択」を真面目にしていたら疲れそうだし、考えるだけ時間の無駄だなと思います。
僕の考えとしては、「選択」をした時点では正解、不正解はなく、それを決めるのは自分の行動次第だと思っています。
だから僕は日頃から選んだ道を正解にするための努力をすることを心がけています。
例えば恋人と別れたとしてにあの時こうしていれば良かったなと後悔して次に進めずどん底にいるのであれば、その別れたという選択は不正解となるのかもしれません。そうではなく、次に向かって進み、いい人と巡り合うことができて幸せになったのならばその別れるという選択は正解だったんだと思えると思います。これは受験に失敗しただとか、チームでスタメンになれなかっただとか色々な失敗の経験にも当てはまると思います。
実は僕にも正解にしたい「選択」あります。それはこれまでサッカー続けてきたことです。
僕は小学3年生からサッカーを始めて今まで人に自慢できるような結果を出したことがありません。
特に高校では結果で親をはじめ、お世話になった人達、応援してくれる人達に恩返しするつもりでした。富山第一高校に片道2時間かけて通い、誰よりも努力してきました。しかし、試合に出ることができませんでした。
毎日ちゃんとやってきて後悔は無いはずなのに凄く悔しかったし、申し訳なかったし、自分の不甲斐なさに怒りを感じていました。
でも僕自身はその経験があって良かったと思っています。現在大学で本気でサッカーに向き合って、毎日妥協せず夜にグラウンドに来て自主練をしているのもその悔しさがあったからだと思います。
けれどどれだけ努力していても客観的に見たら僕はサッカーで結果を残せなかった人間なんです。それでは自分が思う恩返しができたとは言えません。
僕にとって自分がサッカーを続けてきたことが正しかったと証明するには結果が全てなんです。「努力してます」「一生懸命やっています」そんなことをひけらかしたところで返ってくるのは同情と慰めしかないことはこれまでの経験から痛いほど理解しています。
だから僕は今プロサッカー選手を目指します。プロサッカー選手になればこれまでの失敗があったからこそプロサッカー選手になれたんだ、だからこれまでの失敗は失敗じゃなかったんだと証明したいと思っています。そして今度こそは結果でお世話になった人達に恩返したいと思っています。
ここまで色々書いてきましたが、結局僕はこのnoteで何を伝えたかったのかと言うと、
過去は変えられる
ということです。
これまで失敗だったと思っている過去の経験は自分の努力次第で正解に変えれると思っています。なんなら失敗の経験を多ければ多いほど成功した結果に深みが出ると思います。こうして失敗をして良かったと思える経験を増やしていくことが人間として成長するための秘訣だと僕は信じています。だからたくさん挑戦したもん勝ちだと僕は考えています。
伝えたいことは以上です。
自分の読み返してみると文章力のなさに愕然とします笑そして訂正する力ももちろんないためそのまま載せます。どうかお許しください。なんとなくこう言いたいんだろうなと伝わってくれたら嬉しいです。僕はまだ結果を残していないので文章の中で「思っている」「考えている」という表現しかできませんが、必ず結果を残してそれらの文章に説得力を持たせられるように頑張っていきます。
これからも亜細亜大学の応援よろしくお願いします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
いいね❤️よろしくお願いします。