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発達障害ということ

大人の発達障害。

微妙な疑問も分かる気がします。

多かれ少なかれ持っている他人と異なることを「障害」と見ることで心が落ち着くこともあるからです。

遺伝子のつながりのあるわが子の「障害」を少なからず受け入れられない家族もいるでしょう。

家族にもその「障害」の遺伝子が存在することを忘れないでいてほしい。

力加減については、言い聞かせもありますが、自分の中でそこに注力しないのであれば、他人とは異なる感覚だと思うようにすればいいのです。

外見で分かる「障害」というのは、本人の自覚も大きいでしょうが、内面の「障害」は周囲の知識も少ないし、いじめや迫害を受けやすく、攻撃されやすいものです。

とくに、学校という場所は、先生たちにも目の届かない場所で起こる子供たちだけのルールが存在します。

ルールなんてないという子がいたとしても、目に見えないそれを感じている子供はいっぱいいます。

「障害」は大きいものから小さいものまでさまざまで、一人として同じではありません。

言葉は同じでも、一人ひとりの「障害」は絶対に違うものです。

受け取る方が意識を変えなくてはいけないと思うのです。

大きい石はみんなが見えるからよけて通れるし、声もかけられる。

でも小さい石は、見えてもよけない人もいるだろうし、よけなくてはいけない人に声を掛けることもできないかもしれない。

それが「障害」。

それにみんなが同じ対応をするのではなく、自分に出来る対応をする。

そんな風に考える人が増えればいいのに・・・


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