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誰かのためにできること

50歳目前のライフオーガナイザー、くらです。

誰かが幸せになること。
「誰か」は仕事のターゲットであるけれども、人数が多すぎる。
だから少し絞って、グループで考えてみた。

でも、仕事ではなく、生き方として考えたときに、とても大きな矛盾を抱えている。
誰かの幸せは誰かの不幸になったり、喜びの瞬間が悲しみの瞬間でもある。
勝負の世界とか、スポーツの世界とかを見て思ったのではなく、実体験だったりする。
悲しい気持ちと誰かを思う気持ち。
人は多面性があって、どれか一つでは生きられないと思う。
その時の感情に優先順位や重みづけはあっても、自分の心が一つの感情に染まってしまうことは、一瞬でしかないと思う。

だから、憎しみ続けるということ、愛し続けること、誰か一人を思うこと。
どんな形であれ、とても尊く感じるのかもしれない。

夫のこともずっと同じ温度で、同じ感情で思っているかと言えば、そうではなくて、それが当たり前だと思うし、トータルして「好き」なんだろうと思う。

「誰かのため」の仕事。
自分が仕事を続けていくために必要なこと。そうは分かってるけれど、誰かのためと自分のためが鬩ぎあい、結局、自分のためになってしまったときの自己嫌悪も嫌い。
自分が決めたことなのに、後悔してしまう。
次こそは・・・と思うけれども、やはり後悔してしまう。
自分で選ぶからこそ、後悔してしまう。
「選ばない後悔」より、「選ぶ後悔」を選ぶというけれども、やはり後悔はしたくはない・・・というのが本音。
他人に言われるとそれが「good」と思えるかもしれない。
もっと頑張れば、もっとやっていれば、そう思うときもあるけれど、今いるココが最善なんだと思えることも自分を保持するための一つの方法だと思う。

今、私に欠けているもの。

「思いやり」
「共感」

同じ気持ちにはなれていないというあきらめ。
他人の痛みや感情をうわべで知ることはできても、寄り添うことにはならない。
むしろ、相手が嫌悪感を持ってしまうかもしれない。

「共感しない」というスタンスで、淡々と進めていくのが一生けん命寄り添う姿勢にみえるか・・・というとそうでもない。

人間らしいしごとが生き残る時代。

人間にしかできないことは何だろうと模索している途中です。

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