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義母の入院にあたって

ライフオーガナイザーのくらです。
義母の入院前の出来事です。

コロナ禍にあたり、入院時の面会が出来ず、1週間に一度、一人だけが洗濯物などを受け取れる仕組みとなっています。

下着の用意をするにあたって、義母のシャツについていつも3枚くらいをルーティンしていて、7枚を準備することが出来ないかも・・・と焦ったところ、出てくる出てくる、20枚くらいの新品が出て来ました。以前購入したり、兄弟がサイズ違いだったからと義母にあげているのは知っていたのですが、使うタイミングは義母に任せていたので、どこにあるかすらわからなかったのです。

今回、義妹と夫が協力して、いろんなところを探してくれました。嫁はまだそれをしてはいけないと思っているので・・・
そこは夫も義妹も分かってくれていて、自分たちで見つけてきては、私に知らせるという連携ぶり。
義母も認知症が進んでいることと、体を動かすことが少しずつスローになってきたこともあり、自分のことだからやりたいのだろうと思いましたが、こちらで準備いたしました。

入院日の夜、晩御飯の時に、夫と義妹の3人での夕食となったときに、義妹から色々と聞くことが出来ました。
私の前と娘である義妹の前では、義母は違う姿だなぁと思いました。ほんの少しの変化ではありますが、娘には「怒り」も「悲しみ」もそれなりに打ち明けているということが分かり、ホッとしました。
夫が私と結婚してもう20年。
義母と同居を始めて18年。
私も自分なりに我慢していたと思っていましたが、義母も同じように我慢していたのだろうと思い、「50:50」なのだろうか・・・と思いました。
本当は「win:win」がいいのですが、そうはいかないと思っているので、きっと私の方が「win」で、義母は「Lose」だったのかな。
義母は次男である義父と結婚したため、姑というと、自分の母親のイメージしかなかったのだと思います。
自分が姑から何かを言われたことはないので、自分が「姑」という位置に座ったときに何をしていいか分からなくて、私に対しても「娘」のような態度で接してくれていたような気がします。
と言っても、私には本来の母親が別にいるため(ややこしい)、義母のスタイルは「違う母」であり、「母」という位置には入れることは出来ませんでした。
「他人」であることをどうしても外すことが出来なかった私の方が頑なのです。
今でも、義母や夫は「他人」です。
ただ、夫は「家族」です。結婚届を出して「家族」になりました。
でも義母も義妹も「他人」であり、「家族」ではない認識なのです。この辺が「冷たい」と思われると思い、夫にも明言しているわけではありませんが、夫にも、私の両親は「他人」だと思っていてもらっていいと思うのです。

「家族」の考え方が異なるので、自分の思う「家族」を相手の家族に押し付けてしまうのような気がして。

スタイルの違う家族で育った私と夫が結婚して、二人でスタイルを作っていくのは当たり前なのですが、そこに、自分たちの両親や兄弟を巻き込むのはちょっと違う気がしていて。

夫の家のスタイルを変える気もないし、染まる気もない。
夫に私の家のスタイルに染まってほしいわけでもない。
否定はしてほしくはないけれど、染まる必要もない気がしていて。

嫁姑問題はいつの世もあることで、私は自分の母と祖母を見てきたので、出来るだけ嫁姑問題は出来るだけ小さく抑えたいと思うので。

ただ、私は小さく抑えたいのですが、相手もいることなので、難しいかと。
おかげで、義母の兄妹(夫にとっての叔父叔母)には私の印象は決していいものではなくて。
「どうしてお盆に実家に帰るの?」との問いかけに、「お盆と正月は実家に帰りたい」と正面から答えたときに、「家に入ったんだから・・・」と言われ、「家に入った覚えはなく、旦那さんの嫁になっただけです」と言い切った私。
きっと夫はその後責められたのかもしれない。でも、家に入る気もなかったし、何なら、苗字を変えることもあまり気が進まなかったし、出来れば週末婚はどうかと提案したくらいだったのだから。
仕事もしていたし、結婚の実感はわかなかったし、夫が毎日そこに居るんだ・・・ということくらいしか認識していなかったように思います。(30歳過ぎてからの結婚だったのに、現実見てない💦)

そんな嫁の私だから、義母が入院することになったとき、色々と考えてしまった。
これからも同じようなことが起こるかもしれない・・・と。

ただ、義妹と夫が自分の母親のことだから、動いてくれるので良かった・・・と今はホッとしています。

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