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Withコロナ時代の北海道ビジネス入門⑥「カーボーイ精神のDNAと高校魅力化」@湧別町未来づくり担当課(1)

安彦良和漫画に登場する「湧別浜」
 『機動戦士ガンダム』の作画監督である安彦良和さんの漫画作品に『王道の狗(いぬ)』がある。明治時代中期から末期の日本、清を舞台に、秩父事件から日清戦争、辛亥革命までの東アジアの歴史と、それに翻弄された人々の運命を描いた壮大な全4巻の作品である。
  この物語は次の場面から始まる。
 自由民権運動が過激化の果てに衰退し、国会開設・憲法発布が目前に迫った明治20年代初頭、北海道の開発は転機を迎えていた。農民運動「秩父事件」を支援して重罪犯として北海道の監獄に捕らえられた自由党左派壮士団の加納周助と同房の元自由党員、風間一太郎はロシアの進出に備えて軍事目的を主とする石狩道路の建設に使役されていた。ところが、2人は脱走し、アイヌの猟師に助けられる・・・。
 追っ手から逃れた加納周助と風間一太郎がたどり着いたのが「湧別浜」だった。
 「湧別浜」は北海道オホーツク海沿岸の街、湧別町の湧別川河口にできた港で、当時は荷物船が行き交って交易が盛んだった。河口を起点に湧別川を上流に遡るように街々ができていった。安彦さんの生まれ故郷は上流にある隣町、遠軽町である。少年期に一時、湧別町に住んでいたこともあったという。それゆえに作品には安彦さんの<北海道史観>と<故郷観>の一端が垣間見られる。
 明治中期に「湧別浜」を起点に栄えた湧別町には本州から屯田兵が次々と入植してきた。屯田兵制度は明治政府が北海道の開拓と北方警備を主な目的として、兵農両面を担う人員を各地に移住させ配備していく制度だ。明治6年(1873年)12月に黒田清隆の建議で実施が決まった。
カーボーイに憧れ岩手県から渡った祖父
 こうしたルーツを持つ湧別町に令和3年(2021年)11月、刈田智之町長が就任した。北海道は本州からの移住者によって開発・発展してきたが、刈田町長の家系も例外ではない。
 刈田町長の祖父は岩手県和賀郡沢内村(西和賀町)出身だ。カーボーイに憧れて空知農学校に進学した。その後、獣医師として網走市嘉多山地区入植し、網走市卯原内で獣医師と薬局を開業していた。父は西網走農業協同組合に勤務後、湧別町の芭露農業協同組合(現在はJAゆうべつ)に転籍し、参事で退職した。
 昭和33年(1958年)3月に長男として出生したのが刈田町長だった。地元の湧別高校から北海道工業大学に進み、卒業してまもなく湧別町役場に奉職した。行政の様々な分野を経験して副町長を最後に町長選に挑み、初当選した。2候補の争いとなった町長選では、30年、50年度を見据えた「町民が安心して暮らせる持続可能な地域社会の実現を目指す」と訴えた。日本全体が人口減少社会に突入しており、人口規模に見合った持続可能な町への転換が必要であると考え、就任して3カ月後の令和4年(2022年)2月に企画財政課内に未来づくり担当課(斉藤健悟課長)を発足させた。
 <未来は過去をベースにバージョンアップされる>と私は考えている。冒頭に湧別町の“起源”を書いたのはこの思いがあったからだ。時代は明治から大正、昭和、平成を経て、令和である。カーボーイ精神のDNAを受け継ぐ刈田町長は、自然豊かで漁業や酪農など一次産業が主産業の人口8,270人の町にどのような未来を描いているのだろうか。
 未来づくり担当課によると、これまでの町の成り立ちを踏まえつつ、後世に何を残していくか、まちの活力を持続するために何を取り入れていけば良いか、未来のビジョンを描き、住みやすさ、暮らしやすさを追求するために特命事項を担当する部署として設置されたという。
先駆的な中高一貫と「湧別高校魅力化」
 未来づくり担当課が取り組む施策の一つに「湧別高校魅力化」がある。
 湧別町内に所在する湧別高校(髙野龍彦校長)は1学年1クラス、2学年1クラス、3学年2クラスの生徒数計117人の全日制普通科の道立高校だ。昭和28年(1953年)に「地域の子ども達は地域で教育する」という理念の下に、当時の上湧別村と下湧別村の組合立高校として設置され、昭和31年(1956年)の道立移管などの変遷を経て、令和5年(2023年)に創立70周年を迎える。
 初代校長平野貞先生の言葉から校訓「自ら求めよ」を掲げている。「人生は決して他人に依存であってはならない。自らの道、自らの運命を自ら切り拓いていく人間になれ」との教えである。
 実は湧別町は先駆的な教育システムを実践研究している。平成17年度(2005年度)から湧別町内の中学校3校(上湧別中学校・湧別中学校・湖陵中学校)と中高一貫教育(連携型)の実施を目指した実践研究を行っている。平成21年(2009年)に旧湧別町と旧上湧別町が合併するまで、複数の市町村にまたがる中高一貫教育としては、北海道内初の取り組みであった。
  しかし、少子化の影響や町内中学3年生の進学率の低下により、昨年度から2年続けて、1学年2学級を維持できていない状況にある。連携型中高一貫教育に取り組んだが、平成24年度(2012年度)には新入学生が1学級となったため、入学者などへの助成や部活動への支援策として、「湧別高校存続対策事業」を実施した。
 新しい試みとして平成30年度(2018年度)には日本イノベーションスクールネットワークが主催する「ISN2.0」への参加。さらに令和元年度(2019年度)には文部科学省が実施する「地域との協働による高等学校教育改革推進事業」に参加し、学校カリキュラム開発や人材の育成に取り組み高校の魅力化向上に取り組んでいるが、生徒数の増加につながっていない現状である。
北海道大学大学院と提携し「未来計画」
 湧別町は「今、行動しなければ手遅れになる」と考え、小・中・高校の連携、学力の向上、湧別高校応援団、北海道大学大学院教育学研究院との連携、高校連携公設塾の設置など出来る限りの施策を取り入れ、将来的に湧別高校を存続するため魅力化向上にさらに取り組もうとしている。
 具体的には篠原岳司・北海道大学大学院教育学研究院准教授(学校経営論)らを湧別高校に定期的に招いて、「高校生による地域創生」というコンセプトのもと、昨年度まで地域との協働による高等学校教育改革推進事業(文部科学省・地域魅力型・アソシエイト)において、「探究的な学習活動」である「未来計画」の研究開発を行ってきた。
 昨年12月22日に行われた「未来計画」活動報告会では、湧別高校の生徒が「海洋ゴミと漁業」のテーマで環境と漁業の関係性、「水質改善」の課題で湧別川の水質を調査するなど地域創生の意気込みを感じさせる発表を行った。高校生自らが地域と協働し未来を創生するプログラムは湧別町の魅力化につながり、その意味でも未来づくり担当課にとって重要な施策である。刈田町長は「他にもさまざまな教育活動を展開しながら、地域の厚いご支援を受けながら魅力的な学校づくりを目指していきたい」と教育による未来づくりに意欲を燃やす。
 次回以降、地元の名産品による湧別町のブランドアップや地域コミュニティの活性化などについて描きたい。

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