政教分離とは「政治と宗教の分離」ではない

某事件のため、宗教と政治の関係が取りざたされています。
Twitter界隈では、特定宗教と政治家との関係が指摘され、それを「政教分離」違反だと批判するコメントもちらほら見るようになりました。

ここでは、特定宗教を擁護するつもりは一切ありませんし、特定宗教と政治家の関係を正当化するつもりも一切ありません。
個人的には、政治家による宗教の政治利用も、宗教による政治の利用も、控えるべきだとは思います。
ましてや社会的に問題があると分かっている宗教に、票のために政治家が近づき、賛意を表明するなど、大きな問題であると思います。
ただそういった倫理・道徳のレベルと、憲法上規程される「政教分離」は異なるということは主張しておきたいと思います。

「政教分離」とは、政治と宗教の分離と考えられがちですが、もう少し正確に言うと、政府と教会(特定宗教)の分離です。
ここが誤解されるポイントなんですが、「政教分離」は決して、政治から宗教を分離させろ、つまり政治から宗教色をすべて排除せよ、というものではない、ということです。

よく公明党の問題が「政教分離」に関連して指摘されます。
公明党の支持母体は紛れもない宗教団体である創価学会だからです。
創価学会という宗教が政治に関わるのは、「政教分離」違反だ、というわけです。
しかし、これは「政教分離」違反とは言い難いと思います。

「政教分離」を定めた憲法20条にはこうあります。

「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」

創価学会は確かに公明党という政党を作りはしましたが、「国から特権を受け」ているというわけでもありませんし、「政治上の特権を行使」しているわけでもありません。
創価学会が、公明党があるからといって、何か政府から特別扱いを受けたり、便宜を図ってもらったりしているわけではないからです。

もちろん、他の宗教団体が政党を作れない(国から禁止される)のであれば、創価学会だけ特権を受ける(特別扱いされる)ことになるので「政教分離」違反です。
しかし、他の宗教団体(幸福の科学など)も政党を作っていますし、作ることができます。
つまり、他の宗教に対しても政党を作る道は開かれているのであり、創価学会だけが特別扱いされているわけではない、ということです。

特定の宗教団体を政府や国が特別扱いすることが問題(「政教分離」違反)ですから、政治家個人がある宗教団体にすり寄っても、支持を取り付けても、あるいは政治家がその宗教団体に深くかかわっても、「政教分離」という原則上は何ら問題はないわけです。
むしろ、「政教分離」ということで、政治家の宗教活動を制限するのであれば、それこそ、その政治家の「信教の自由」を侵害することになります。

とはいえ、政治家という立場上、「信教の自由」の問題は複雑です。
靖国神社との関連がいい例ですが、例えば、「内閣総理大臣」という立場で特定の宗教施設に参拝を行ったり、儀礼に参加したりすることは、政府を代表する「内閣総理大臣」が特定の宗教にお墨付きを与える行為となり、「政教分離」の観点から問題視される可能性が高いです。
この場合、その宗教は「内閣総理大臣」(政府)が参拝する特別な宗教であり、これこそが「日本の宗教」なんだと、見做されかねない、ということで、こういったことが間接的に、その宗教の宣伝や布教(利益)につながる、ということです。
つまり、「内閣総理大臣」(政府)が特定の宗教の援助・助長をする(特別扱いする)、ということになり、「政教分離」違反だ、ということになるわけです。

日本は「神道」の国だから、政府が神道を推進する(靖国神社を参拝する)ことはいいことだから、「政教分離」の原則はない方がいいと考える人もいます。
しかし、万が一、与党が他の宗教信念に基づいた政党となった場合、その宗教が推進されることに誰も反対できなくなりますし、「神道」的な伝統も破壊されることになりかねません。

ということで、政治家が特定の宗教にすり寄ること、あるいは宗教団体が政党を作ることは「政教分離」という観点からすれば、何ら問題はありません。
ただ、冒頭に申し上げた通り、社会的に問題のある宗教と認識しているにも関わらず、その宗教と票のために深い関係を政治家が持つことは、倫理的・道徳的にいかがなものか、という問題は指摘せざるを得ません。

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