宗教学ってなに (「人の営み」としての「宗教」)

はじめまして。
noteをはじめました、えーえむと申します。
簡単に自己紹介。

30代、性自認的には男性。
宗教学を研究していて、某大学で博士号を取得、
今は野良の研究者ということです。
(といいながら、大学で非常勤講師をやったりもしていますが)

とりあえず今日は、宗教学について書こうかと思います。

昔、大学院に入って、すぐくらいのころ(もう10年以上前ですが)、
高校の同級生から、たまたま電話がありました。
その時に「いま何してんの?」と聞かれ、
「宗教について勉強してるよ」と無邪気に答えると
「怖いな」と言われました。
それ以来、なぜか連絡をくれなくなりましたが、
とにかく、宗教は「怖い」「怪しい」とのイメージがあるようです。

でも違うんだ、宗教って怖くないんだぜ
なんてことが言いたいのではなく
(実際、「怖い」側面も「怪しい」側面もたくさんありますから)
宗教学というのは、「人の営み」としての「宗教」を研究するんだ、
ということを今日は言いたい。

宗教は人の営みだから「神」とか「仏」なんて存在しないぜ、
っていうわけでもなく。
「神」や「仏」が実際にいようと、
「宗教」を「人の営み」として捉える、ということですね。

「人の営み」としての「宗教」を学問的に研究する
これが宗教学と私は思っています。
もちろん、そうじゃない、と言う宗教学者もたくさんいると思いますが。
実際に生きている(あるいは生きていた)人間が、
どのように宗教を実践をしているのか、
どんなふうに宗教を捉えているのか、
なんてことを研究する学問だと、私は思っています。

なぜ「人の営み」として、なんて限定をつけるのか、
というと、例えばキリスト教を研究するとして、
キリスト教の信者の立場で研究をする場合と、
キリスト教の信者でない立場で研究する場合では、
たぶん問題が異なるはずです。

信者の問題は、「信じれば救われる」って言うけど
「信じる」って一体どういうことなんだろう、とか
聖書には「神の国は近い」って言われてるけど、
それはどんなとこで、いつ来るんだろう、とか
そういったものです。

信者以外の人の問題は、
キリスト教はなぜここまで世界中に広まったんだろう、とか
最近、キリスト教の信者が世界的に減少しているのはなぜだろう、とか、
そんな感じのことです。

前者は「神学」で、後者は「宗教学」です。
つまり、「神学」は自分事、「宗教学」は他人事です。
だから宗教学は「人の営み」として、という限定が付くのです。

かなり大雑把な説明ですが、また追々書いていきたいと思います。

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