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AIアートグランプリに初めて参加した感想など

11月4日、土曜日。ベルサール秋葉原で開催された第一回AIフェスティバル。このイベント内にて実施された第二回AIアートグランプリの最終審査会に参加し、佳作をいただきました。

私は突然変異種なので、あの場に立てただけでも幸運だったのかなと思います。

まずは作品を作ってみて、そこからPDCAを回してくべきだと思うので、初めてにしてはよくやったのではないでしょうか。

何はともあれ、SFマガジン2023年2月号の執筆者紹介にて、私が「AI使って小説書くなんて時代遅れ。作家なんてAI使って漫画化・アニメ化してハリウッドに出てなんぼ」と書いた宣言を一歩前進させることができたので満足です。

特に私が全て作成したストーリー部分は、短い動画に収めるために削りに削って、かつ字幕としても収まり良くしているので、いい仕事ができた部分かなと思います。なんかこだわるべき部分が違う気もしますが、それが自分らしいところかなと思います。

イラストに関しては、独自のスタイルになるように意識しました。自由に解釈できるようにアスクイはシルエットで描いています。私みたいに絵が下手でも修正しやすいですしね。また画面に走査線とノイズ、ビネットを入れて、フィルの視点のような、あるいはフィルの見た世界を観ている父親の視点のような効果を目指しました。

色合いは、kmeans法で画像内の色を8種類に分類して、8色のテンプレートに変換するコードをChatGPTも使って作って変換しています。

動物のシルエットや色の組み合わせについては、ありふれたものなので著作権を侵害しづらいだろうという意図もあります。最終的に動画内に採用しているものも割と動物の形が崩れていて、人間が多く修正しています。

審査会で使ったスライド

色の組み合わせにはあまり著作権は発生しないとはいえ、当初ゴッホの『星月夜』のパクリと言われないかなと不安でした。

また、途中で『ファミレスを享受せよ』にも配色が似てるなと気付きました。気になっていたものの未プレイだったので、制作中に見て影響されるとよくないなと思って控えていました。審査会から帰ってきてすぐにプレイしましたが、めっちゃ好きなSFでした。先月にプレイできていれば問答無用で日本SF大賞に推薦していたと思います。確認しましたが、誰にも推薦されてませんね。惜しいことをしました。おすすめです。

また今回、スポンサーであるガレリアさん(株式会社サードウェーブさん)の方にお会いする機会がありました。私が第9回日経「星新一賞」にてAIを利用した小説として初めて賞を頂いた際、GPT-2を動かしていたのはガレリアだったので、感謝の言葉をお伝えしました。

現状のAIを用いたアートでは、マシンの性能が低いと表現への制約が大きいので、ガレリアさんのようなスポンサーが多くの若くて優秀なAIアーティストを支援していただけたらうれしいです。

最悪わたしはどうでもいいので。あ、でもスポンサードしていただけたら、ガレリアの未来を描いたSFとか書けますのでぜひ。

審査員の先生方、ならびに運営に携わられていたスタッフの皆様も大変ありがとうございました。審査員の方々には真摯に作品をみていただいていましたし、スタッフのみなさんも準備から会場設営、スムーズな進行など、非常に大変だったと思います。心から感謝申し上げます。

「パスパルトゥー」の名前は、ヴェルヌの『八十日間世界一周』の登場人物から。「フィル」もフィリアス・フォッグ卿から名前をつけました。

ここからは、つらつらと自分自身の課題を並べていこうと思います。

今回は、「宿題をたくさん持って帰ってきたな」というのが素直な感想です。

最終審査会のプレゼンで、私自身の創作のアルゴリズムを法則に落とし込んで、いずれはAIになりたいという話を突然ぶっ込んだので、審査員の安倍先生を大変困惑させてしまいました。失礼しました。

私としては、ずっとやってきたことなので当たり前だったのですが、作品自体の中でそうした文脈を説明していなかったのが原因かなと思います。

悪戯心100%のサプライズだったのですが、ちょっと悪ふざけが過ぎたようです。

そのあたりの「見せ方」は反省したいですね。

私がSNSのプロフィールなどをアバターで通しているのも体がなくなった後のことを見据えているからなのですが、いちいち説明しないと分からないですよね。面倒くさい作家ですな。

ま、本コンテストはそもそも人間らしさが評価されているフシがあるので、人間らしくない私は評価してもらえなくなっていくような気がしますが、それは未来のお楽しみとしましょう。

小説的なストーリー性のある作品が私くらいだったのも印象的でした。

もしかしたらプロ野球の試合にサッカーボールを蹴って入場したかカバディでもしてしまったのかもしれませんが、そうであるかどうかも私はまだ分かっていません。

おそらくデザインやメディアアートの文脈を私は理解する必要がありそうです。勉強しがいがありますね。

ただただ、世の中には自分の知らない面白い世界がこんなにも広がっているのだなという思いです。地球の何処に行っても見れないような、いい景色が見れました。

ストーリーという点では、プレゼンでは「何も語らずに映像を観てもらった方が良かったかな?」と思いました。

そうなる可能性も考えてあえて発表時間の3分以内で動画を制作したのですが、結局プレゼンを選びました。

「審査員の方々はきっと最後まで動画を観てくれているだろう」という読みだったのですが、会場の大画面で流すと印象が変わる可能性は大いにありそうでした。

「物語のメッセージを自分で説明するのは野暮だけど、アートってそういうもんなのか?」とも思っていたので、いい勉強になりました。楽しい失敗でした。分からないことが分かっているのは気持ちがいいですね。分からないことが分からなくなってからが本番ですが。

それに、ストーリー性のある作品は、単純に観てもらいにくいなと思いました。

今回、最終候補作品は会場の後ろにそれぞれディスプレイをご用意いただいて展示されていました。

それも考慮して3分という短い動画にしたのですが、ループ再生されている動画のちょうど始まりから観てもらえるとは限りませんし、数秒観ただけですぐに次へ移る方も結構いました。私も美術館や博物館でちょっと長めの解説動画とかは観ないタイプなので、気持ちはよく分かります。物語とは、かくも脆く儚いものか。

以前からYouTubeに動画をアップしていた経験から、最後まで観てくれる方は少ないと知っていましたが、会場でもそれと同じかもっと少ないような体感でした。

会場の人の流れであったり、パッと見てすぐに魅力が分かる形になっていなかったというのもあるかなと思います。後者は、小説沼に肩まで浸かっていたせいでしょうね。小説でいうところのツカミのエンベディングが違う感じでした。やはり私は空也上人になるべきかもしれません。

途中で展示を差し替えて実験したり、ディスプレイの前に立って解説をすることも考えましたが、これはそういうレベルの話ではなかったのでやめました。

ちゃんと人が集まりやすい展示もあったので、見習おうと思います。展示用パネルも悪ふざけに使うのはやめた方がよさそうですね。私は、作品と展示用パネルとプレゼンを全てまとめて「私の思うアート」として見せたわけですが、誰も指摘する人はいませんでした。拾われないボケは、ノイズにしかなりません。これも私の文脈の読み違いのせいかなと思いました。

生の反応を目の前で見ることができたのも、小説だとなかなかないので新鮮でした。懇親会で「あなたはどの作品の?」と言われることの残酷さよ。アーティストは本当に生きている世界が違います。嗅覚が違いますよね。異世界転生したのかと思いました。

「ノーチラス」の名前は、ヴェルヌの『海底二万海里』に登場する潜水艦の名前から。

反省点としては、自由に表現することを第一に考えていなかったこともあるかなと思いました。

最近は不安と恐怖からルールを過剰に意識してしまって、小さくまとまってしまっていました。

私は5年ほど、AIを用いた小説執筆をしてきました。私よりも前から取り組まれていた先駆者もいましたが、基本的には孤独な戦いでした。

ようやく最近になって似たようなことをする人が増えてきて、うれしいなと思っています。一方で、ルールを無視したお金や承認欲求の亡者も増えてきましたし、反AI的な人たちも増えてきました。

そうしたことを考えると、AIの普及のためには、まずは「いい子」になって模範にならなければという思いがありました。それに私は、本質的にビビリなのでね。炎上したくないとか、叩かれたくないとか、そういうもやもやとした霧が頭の中に広がっていました。『霧の波止場』みたいにね。あるいはブラッドベリの『霧笛』かもしれない。

私は他の人からは「AIを使っている人」としか認識されていないところがあり、以前から「AIをみんなが使うようになれば自分は埋没するだろうな」と思っていたので、忘れられていく怖さもなかったと言えば嘘になります。

それが「『模範となるいい子』であろうとする自分」に影響している可能性は捨てきれません。

私は多くの人がAIを使って創作活動をする未来が見たかったので、その怖さよりは嬉しさのほうが勝っていると信じていますけどね。

しかし審査会当日、「自分は小さいな」と感じました。

他の参加者の方々の作品からは「表現をしたい」という爆発力が溢れ出ていました。

「表現をしていて楽しい」のが手に取るように伝わってきました。

私の見たかった未来と出逢うことができました。

私もその未来の中に飛び込んでいいんだなと、大きな勇気をもらえたような気がします。

最後に、ハヤカワファクトリーさんの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のパーカーを着ていきましたが、SF作家の安野さんしかツッコんでくれなかったことを申し添えておきます。SFよ、成都で口をぽかんと開けて、万博に口をとがらせている場合じゃないぜ。

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