自由刑に服します

自由刑 -何か似たような言葉を聞いたことがあるな?-と思う方もいらっしゃると思う。そう。島田雅彦氏の有名な小説「自由死刑」からもろに影響を受けている。

自分に罰を与えるために死刑(自殺)を目指すものが自由死刑ならば、自分を罰し、更生を促すためのものが自由刑だと思う。

私は、自分に自由刑を課すことにした。

今までの生活では七つの大罪をすべて満たすかのごとく欲のままに行動し、適当に生きていた。自分の中に良心があるならば、このような自分を確実に罰するべきだと言うだろう。

テレワークが始まってからは仕事をサボりまくり怒られないギリギリの最低限の成果しか出していない。そのくせ自分はちゃんとやっているとアピールしまくる。無駄にものを買いまくって貯金なんて最近までは0だった。ギャンブルもバカほどする。自分と周りの優秀すぎる人たちを比較し、勝手に落ち込む。その癖性欲は異常にあり、風俗だろうが出会い系だろうが使って女をあさる。そんなクズでも無駄に美食家で金の尽きるギリギリまでうまいものを食べあさる。

自分勝手に行動した挙句、自分に自信がなくなり半分鬱のような状態になった。こんな行動していて自信が持てるはずがないだろう。こんなことで鬱になるくらいならとっとと命を絶てとも思ったが、そこまではいかない。まだ更生の余地があるだろうと考え、自由死刑ではなく、自由刑を課すことにした。

また、自分の心からその人を消す目的で、モノをその人に見立ててめった刺しにした。やっていることは何も法律に触れないが、それでも償うべきだと思った。

昨年の10月に最悪の別れ方をした彼女がいた。ここ最近まで忘れようとしても悪夢のようにぶり返すということが続き、それも鬱に拍車を重ねた。
脳内ではその人に危害を加えようとも何度も思ったが、一方でそのような価値はないと考えてやめていた。そんなことを考えることすら悪夢だった。
それを絶つために物をその人に見立てて、自分はその人との関係を絶つんだと強く念じて、包丁を逆手にもって渾身の力で何度も刺した。よくある藁人形のように呪う目的は一切なく、ただ自分の中から存在を消すためである。その結果不思議とその人に対するストレスは消えた。しかし、物とは言えどめった刺しにして、心の中からその人を消し去ったのだ。それは罰を受けるべきものである。

以上の罪から、自由刑を課するに至った。自由刑により自分の行動に制限を与え、自分の成長や尊厳のために時間を使うようにする。もしこれが三日坊主になり、元の生活に戻るならその時は更生の余地無しと判断し、自由死刑に切り替える。34歳。これが最後の更生の機会だろうと思い、自由刑に服すこととする。



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