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【恋物語】蝉時雨/第四章 -終-

僕にはもう既に彼女の色がべったりと張り付いているのだろう。
真っ直ぐに見る瞳を失って、彼女の音の方に漂って、触れたら消えてしまう事も恐れず。
きっと恐れる脳味噌が溶けて無くなっていたのだ。

一方彼女は正反対で。馬鹿な僕の向こう岸で、真っ直ぐ澄んだ瞳でこちらを見ていたのだとしたら。

「よっちゃん……」
小春は僕を抱きしめて浅い息をする。
脳味噌の溶け出した後の僕を。
出会った時から今まで、ずっとみっともない僕を。

「もう君とは居られない。」
涙を含む僕の言葉に、より一層強くなる小春の腕。
「私はずっと、よっちゃんを愛していたよ。」
花火の音に誤魔化されそうなくらい小さな声で言った。
「僕は君を好きだったから。
君を愛する目を失くしたまま、触れようとしていた。
とても、とても好きだったから。」

小春は沈黙の後、僕に回していた腕をゆっくりと解いた。
「初めて会った時のこと覚えてる?」
「……うん」
「帰り際にあなたが花をくれたことも?」
印象的だったあの日のことだけど、何故かそれは僕の記憶には無かった。
「あなたはシロツメクサを1本くれたの。
その時にちょうど、夕暮れが深くなってきて。
『この時間のことを"黄昏時"って言うんだ。黄昏時は、感情的になるものなんだって。』ってあなたが教えてくれたんだよ。」

僕は力が抜けてしまった。「この恋を悲しい物にしたのは僕だ」と思った。
そして息を忘れる。噴水のあの日に戻れたら。せめて、入学式の日にでも戻れたら。
僕にちゃんと目が付いていたら。
小春と真っ直ぐに見つめ合えていたら。

少しして、小春はため息をついてから、一呼吸置き、僕の目を見てから改まった様に言った。
「私、夢のようでした。
口づけを拒む前にも、もう既にあなたの色がべったりと張り付いていたんだと思う。
失いたく無くて、気が付かなかった。」
僕と全然違うのに、どこか繋がっているみたいで、余計に胸が痛む。
優しい君をこれ以上苦しませてはいけない。


僕は小春の目を見て言った。
「夢に迎えてくれてありがとう」
小春も僕の言葉そっくりに言う。
「夢に迎えてくれてありがとう」
花火はいつの間にか終わっていて、離れた街の灯りと、月明かりだけが輝きを増した。

この言葉を最後に、二人が会うことは無くなった。



家に帰って、ひとつ月の形をした明かりを灯す。
適当に付けたラジオから、クレナズムの『積乱雲の下で』が流れたので、すぐにチャンネルを変えた。

それから暫く、夢の中だけは仕方なく、あの日の蝉時雨が降り続けていた。

───────蝉時雨 終

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