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変化を許す【読書日記】

1月29日(Monday)

新しい仕事の準備などを進めつつ、東雅夫編『ゴシック文学入門』を読み終わった。自分がゴシックな世界が好きだと自覚したのはわりと最近で、『オトラント城奇譚』はじめ『フランケンシュタイン』も『吸血鬼』も未読たったりする。なので「ゴシック文学好きです!」とはとてもじゃないけど胸を張っては言えない。だけど、城館、ゴースト、魔女……それらが作り出すオドロオドロとした世界にはどしようもない期待と夢を抱いてしまう。だから結局、好きなジャンルを一言でと思うとゴシック文学と言ってしまうのが分かりやすい。胸を張ることはできなくとも、背筋を今より少しくらいは伸ばせるようにこれからもっと読んでいこうと密やかな決意。

ただ、『フランケンシュタイン』は読んだことがないけれど、作者であるメアリー・シェリーの半生を描いたハイファ・アル=マンスール監督作品『メアリーの総て』は観たことがあり、とても好きな作品のひとつ。

名前すら与えてもらえなかった怪物。愛さないのならどうして創り出したのか。悲痛、憎しみ、せめて憐れな受難者になることも出来ず、己の存在の無価値さ、むしろ他人に恐れられる一方の醜さへの怒り。そろそろ読む時が来たかもしれない。



1月30日(Tuesday)

年内に消化しなくてはいけない有給が残っているため夫が家にいる。嬉しい。一人で過ごす時間も好きなのだけど、やっぱりふたりがいいよねと言いつつダラダラ過ごす。お昼にマックが食べたいと夫が言うので出かける。

白川紺子『下鴨アンティーク 祖母の恋文』を読み終えた。シリーズ三巻目。前に読んでから半年ほどが空いてしまったけど面白かった。春野くんが気になる。

着物を着る機会なんて滅多にないのだけど憧れはある。振袖袴は何度か着たりしたけれど、何より思い出深いものは成人式のために祖母が誂えてくれた振袖。深いこっくりとした青に金色の鶴と花々の散らされていて、前撮りのスタジオや当日のヘアメイクのスタッフの方々から褒めてもらいながら嬉しくて仕方なかった。

そんな幸福な記憶に引き寄せられ、鹿乃のように着物を着る日常に憧れるもののハードルが高い。



1月31日(Wednesday)

明日から新しい仕事が始まるので、なんとなくソワソワして落ち着かない。とりあえず準備をしつつ、本を読んだりゲームをしたりしてみるけれど集中しきれないまま時間ばかりがすぎていく。

今度は自分の好きなものに少しだけ近い仕事なので、楽しみなような不安なようなと複雑な気持ち。仕事は仕事として割り切り、生活の深い部分からは切り離していたいので本にに関わる仕事はしないとずっと昔に決めた。本に囲まれる職場は確かに憧れるけれど、ふとした瞬間に「あ、これが仕事か」と思う瞬間が怖い。私はただ本を読む者でいたいのです。

ああ、でも、ナリワイという言い方なら好きかもしれない。生きる業。読書を自分の業として、逃れられない囚われた罪のように生きていきたいね。



2月1日(Thursday)

2月。引越しを機に前職を辞めてから久しぶりに働き始める。今日はオリエンテーションがメインだったけれど気が張って疲れた。ひとところに留まるのは苦手なくせに環境が変わるのも好きではない。ただ、それでも何かがゆっくりと変わっていくことを許していき、認めていけるようになろう。

仕事帰りに書店に寄って下鴨アンティークの続きを買いたかったのだけど置いていなかった。残念。今読んでいる巻で手持ちが終わってしまう。

シリーズものはまとめて買うか、少しずつ買っていくか、安心感と散財感に苛まれていつも悩む。だけど、こうして読みたい時に続きが手に入らない悲しみにぶつかるたびに買わなかったことを後悔する。むむむ。



2月2日(Friday)

白川紺子『下鴨アンティーク 神無月のマイ・フェア・レディ』を読了。は、春野くん……!という気持ち。鹿乃の両親、そして祖父母の馴れ初めの話がとてもキュンキュンしてよかった。鹿乃と慧の関係もそろそろ変わるのかな。

仕事を少しずつ教えてもらい始めているけれど、なかなかに覚えることが多い。帰宅後、走り書きメモを清書しながら頭に叩き込む。流石にそろそろ新人だからといってゆっくり覚えればいいという年齢でもなくなってきているので甘えてもいられない。

そうなると、どうしても読書に使える時間が減ってくる。月に10冊以上は読みたいと思っているのだけど、どうなるかな。
無理に冊数を読む必要はないと思っているけれど、読みたい本は日々増えていくばかりなので読めるだけは読みたいと思ってしまうよね。



2月3日(Saturday)

君つねに清くめぐしく
神きみを護りたまえと
手を君の頭に置きて
祈りたき思い湧き出ず

ハイネ『君は花のごとく』

なんだかとても眠い一日。ぼーっとしながら祈りについて考えている。どれだけ真摯な願いも、祈りというものは総じて利己的なものだ。自分のために自分の幸せを願う分かりやすさと違い、自分のために誰かの幸福を願う自己満足な優しさ。だからこそ愛しい人の髪を撫でながら、どうか幸せでいて欲しいと願うのはとても愛だなあ、という気がする。

先週頼んだ冷凍麺が大量にあるので、今週も夫がラーメンを作ってくれる。坦々麺。夜ご飯の材料を買いにスーパーに出かけて、やけに混んでいるなぁと思っていたら今日は節分だった。夕ご飯は恵方巻きなった。豆まきはしない。



2月4日(Sunday)

マラソンシーズンなので毎週見るものが色々あって楽しい。今日は午前中に丸亀ハーフマラソン、午後には別府大分毎日マラソン。

東川篤哉『もう誘拐なんてしない』を読み終えた。読みながら既視感があるなと思っていたけれど数年前にスペシャルドラマをやっていたらしいので、たぶんそれを見たのだと思う。仕事に慣れるまではライトな読書にしようかなと選んだのだけど、なかなかのコミカルさと疾走感だった。

次に川上和人『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ』を読み始める。話題になっていたときに買ったまま積んでいたのだけど、今週のはじめにふと鳥が空を飛ぶ姿、そして重力から解放、あるいは逆らうことについて考えていて、まさに今が読む時じゃないかと思って出してきた。川上和人さんのユーモア溢れる文章が楽しい。ちなみに私は鳥がとても苦手。だけど羽根は欲しいなと思う。

夜、夫と一緒にガストに行く。ふたりでハンバーグを食べると幸せな気持ちになれるし、猫型のロボットが料理を運んできては頭を撫でろとねだってくる。昨日の夜から偏頭痛がひどい。頭が痛いと簡単にもう死ぬかもしれないという気持ちになる。安っぽい幸福を積み重ねて死ねるのなら、それこそとびっきりの幸せなのかもしれない。ハンバーグの中にチーズが入ってるだけで幸せ、みたいな。

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