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今日まで・・・2️⃣

コンピユータ時代の幕開け(自分的に)
「これからはコンピュータの時代になるぞ!」就職した時(1978年)スズキ先輩に言われました。そうなんかぁ〜ただ何となく僕はそう思っただけでした。
中小の電気工事会社に就職した僕は、すぐに大手の貿易会社に出向を命じられ、最初についた先輩に言われた言葉です。
貿易会社の計測機器を扱う部門で、仕事内容はプラント設備の自動制御機器の調整作業です。要するに米国から輸入した計測器の調整とプラント制御の指導員見習いです。

北から青森、仙台、福島、茨城、千葉、東京、横浜、愛知、和歌山、山口、島根、福岡、長崎と全国各地のプラント設備を3年程旅芸人のように渡り歩きました。(この頃のエピソードもたくさんあります。徐々に語りたいと思ってます。)
最後は、長崎の現場で上司と仕事上で口論となり、辞めて自社に戻りました。自社に戻ると今度は、プラント設計の仕事が待っていました。
今のようにCADがあるわけでもなく、ひたすら手書きの時代でした。

当時、専務がコンピュータ導入を考えており、初めて導入されたコンピュータは(当時はマイコンと呼ばれてました。)富士通のFM–8でした。(家庭用FM-7のTVCMをタモリさんがやってましたね)
NEC製のコンピュータと違って富士通製のコンピュータにはソフトウェアーが極端に少なく、BASIC言語でプログラムを書いてコンピュータを動かしていました。(OSはCPM/86だったと思います。)

BASIC言語を覚える為に、原宿にあるコンピュータショップへ飛んで行き、NECのPC-8201を購入しました。(自腹でっせ)ところがBASIC言語はNECと富士通ではコマンドが微妙に違っていて、PC-8201で作ってFM-8に移植するという超非効率なことをやっていました。
因みに、この頃のソフトウエアはカセットテープからローディングをし、カセットテープにセーブするという恐ろしく時間がかかる時代でした。(FAXのような機械音がする。)

(左)富士通FM-8と(右)NEC PC-8201

その後、会社のコンピュータもNECのPC-8801、PC-9801となりソフトウエアも豊富になりましたが、自社内の業務では相変わらずBASICでプログラムを組んでました。(無いものは作る)この頃になりOSはMS-DOSになったんだと思います。AppleはMacintoshを発表してたとは思いますが、個人で買うには高くて手が出ない時代でした。
Macへの道はまだ遠いですね、この続きはまたということで、過去に戻りたいと思います。

【暗転】

幼稚園入園まで(その2)
元来、家の中で1人遊びをするのが得意だった僕です。(内向的な性格で他人にはなかなか馴染めなかったんです。)それでも、親に言われて徐々に家から外に出ることになりました。

最初にできた友達は近所に住んでいた。同年齢のコウケツマサ・・・何とか君・・失念しております(汗)。いつもマッチャンと呼んでいたので・・・その他にコンドウ兄弟(年上と年下)、イイダ君(年上のボス)達とよく遊んだなぁ・・・鬼ごっこ・缶蹴り・切った待った(関西で言うダルマさんが転んだ)・ショウヤ(関東のメンコ)・カッチン玉(全国的にビー玉)、ザリガニ釣り等々・・・まだ、テレビが家にない時代で日が暮れるまで遊んでいました。

そして、いよいよ幼稚園に入園です。コウケツ君と同じ幼稚園で、何の不安もありませんでした。
幼稚園は年長組です。先生はアオマツ先生、とても優しい先生でした。だってホラ、僕は猫を被って、何でも言う事を聞く、とてもおとなしい良い子でしたから・・・(自画自賛)

この続きはまた・・・
長文になりました。最後まで読んでいただきありがとうございました。


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